
2002年・三推社・講談社の『別冊ベストカー・パトカーデラックス』(旧版)68ページに、1951年式シボレーの制服パトカーの写真か掲載され、ご覧になられた方も多いと思われます。
以前に、「トヨタパトロールBH/FH26」で書きましたように、「パトカーのはじまり」は、昭和25(1950)年6月にアメリカ軍から「オープンカー」をゆずり受けたのが最初、とされています。
(愛知県警ホームページ・「警察なるほどQ&A警察の乗り物」)
そしてパトカーが日本にはじめて登場した当時は白一色で、昭和30(1955)年に白と黒の2色で全国統一されたとのこと。
当初私はこの「1951年式」という年式に騙されて、国産車就役以前に、米軍払い下げ車からの流れでシボレーが使われていたのかと勘違いしていました。
ところがそうではないんですね。
上記『パトカーデラックス』の66〜69ページあたりを良く読んでみると、50年代の初期には50年式オオタ(PA3またはPB)、51年式トヨタBDR、52年式トヨタBFR、55年式トヨタパトロールBH26、ニッサン180改などの国産車を使用。しかしやはり国産車では性能・耐久性の面で難があり、その後米軍払い下げの1948〜1951年式のシボレーが大挙襲来して主力の座についた、ということなのでした。したがって51年式シボレーの写っている写真の年代は、1959年〜1961年なのです。
それで同誌68ページのシボレーの写真が「警視廳」ではなくて「警視庁」になっている理由が理解できます。55〜56年のトヨタパトロールBH26/FH26よりも年代が後で、この間に警視庁は「廳」の表記を改めたのでしょう。
51年式シボレーが新車で導入されていたなら、導入年次は51〜52年でしょうが、10年近くを米軍の公用車(おそらく将官・士官用のスタッフカーなど)として過ごしてきた中古車を払い下げられた、ということなのです。しかしそれでも当時の国産車よりは性能・耐久性において優っていたわけで、この頃の国産車のレベルが推測できようというものです。
※「払い下げ車」とは言うものの、ある程度まとまった台数が渡されたようで、これらの車両は
以前から米軍使用車として日本国内にあったものなのか、米本国からわざわざ持ち込まれ
たものなか、興味のあるところです。
※上記資料では払い下げシボレーは「1948〜1951年式」となっていますが、1948年式という
のは、1942年からの戦前からの流れにあるモデルで、シボレーは1949年に最初の「ポスト・
ウォー」モデルとなり、1949〜1952年が基本的に同一系統車です。
したがって「1949〜1951年式」だと腑に落ちるのですが…。
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