ブルガリアとハンガリーのマッチボックス

'Matchbox' cars from Bulgaria and Hungary





 ブルガリア製マッチボックスの裏表


ネットオークションなどの説明で、「ブルガリア製マッチボックス」という説明をご覧になった方がいらっしゃるかもしれません。

イギリスを発祥の地とするマッチボックスも、その後香港/アメリカの会社に次々に身売りされ、裏板に刻印されている生産地では、「イギリス」「マカオ」「中国」「タイ」などがお馴染みです。
しかし「ブルガリア」というのは、「かなり珍しそう」な感じがしますし、そもそも(ヨーグルトでもないのに)どうして「ブルガリア」なんでしょうか。

日本人としては「ブルガリア」「ハンガリー」「ルーマニア」「クロアチア」の地理的な区別もつかないのが現状ですが、ヨーロッパ製品としては「どことなくエクキゾチック」な感じのする東欧製マッチボックスの裏面史について、少しご紹介してみたいと思います。(2008/11/15)



Matchbox cars from Bulgaria and Hungary

In 1983 Matchbox in the Universal Group licensed several molds for their diecast toys, and the use of the 'Matchbox' name, to a firm in Bulgaria called 'MIR'. The firm had changed to their company name to 'Mikro'67' post communist period.
And in 1986 Matchbox also licensed ten of the molds to a firm in Hungary called 'Metalbox GMK'.

In Hungary, licenced production ended by 1988, with all tooling being returned to the Matchbox.Assembly apparently continued until 1990 using stockpiled and non-original parts. After the collapse of the Eastern European economy around 1990, production was closed totally and all stock sold.

But in Bulgaria, after the Cold War had ended, Mikro produced a lot of variations which have the decals and the colors of the original models.
In the contract about licensed production, Matchbox Company required that all the models produced were intended to be sold only to the Bulgarian market but Mikro exported their productions to other countries.

So the Matchbox Company eventually broke the contract with Mikro, but they were unable getback the dies for some models. Mikro following no rules, produced thousands of variations by color, decals and wheels. Then the Matchbox company doesn't recognize Bulgarian models as authentic 'Matchbox'.



 極めて複雑なブルガリア製マッチボックスの経緯

ブルガリアでマッチボックスの製造を行ったのは、「Mikro'67」という企業体で、工場はブルガリア北東部のラズグラード(Razgrad)というところにあり、ここではマッチボックスのみならず、ドイツのガマ/シュコー/NZGなどのダイキャストモデルも製造されました。

「Mikro」は、ブルガリアで共産党政権が崩壊する1989年までは、「MIR」という社名で、「DSOMladost」(ДСО МЛАДОСТ/DSO ムラドスト)という国有企業体グループの一員でした。「MIR」(МИР)はブルガリア語で「平和」を意味するそうです。かつて旧ソ連邦に「ミール」という宇宙ステーションがありましたが、これも「平和」の意味でした。
共産党政権崩壊後、社名を「MIR」から「Mikro」に変更。ブルガリア語での「Mikro」(МИКРО)は、英語の「micro」=マイクロ/ミクロに相当する言葉で、「小さなモデル」「ミニチュア」に由来するネーミングです。「Mikro」「Mukpo」「Mikro'67」「Mukpo 67」といった表記が同時期に両方使われたようです。

「MIR」社がマッチボックスとの間で、自社工場でのマッチボックス製品の生産の契約をしたのは1983年、最初にスーパーファスト・シリーズ中の5点と、いくつかのスーパーキングズのモデルの生産が開始されました。1983年ということは、マッチボックスは既にレズニーから香港のユニバーサル・グループの手に渡っていたことになり、生産はマカオを主体として行われていた時期にあたります。レズニーであれば、そもそも金型の海外リースなどは考えなかったに違いありません。

ライセンス生産開始直後の初期モデルは全てパール・カラー(英文で「pearl colors」ですが、メタリックが含まれるかもしれません)に塗られていて、全く耐久性が無かったようです。これは私の想像ですが、「見よう見まね」で、ダイキャストにロクな下地処理や焼付け塗装などをすることなく、直接に塗料を吹いたりしたことによるものでしょうか。ただしこの点については、後に改善されることになります。この時期のモデルをミント・コンディションで見出すことは、ブルガリア国内においてさえ、非常にむずかしいとされています。




は、共産党政権崩壊以前の「MIR」時代のブリスターカード。最初はわからなかったのですが、どうやら初期製品であると考えて良さそうです。

ブルガリア語は、ロシア語と同じ「キリル文字」を使います。ブルガリア語→英語のオンライン翻訳サイトは存在するのですが、印刷物に書かれているブルガリア語を翻訳にかけるためには、キリル文字をブルガリア語サイトの中の半角フォントからひとつひとつ拾わなければなりません。以下に表示されているキリル文字は、日本語全角フォント中の「記号」扱いで表示されているものなので、これではエンコードの関係で文字化けしてしまうからです。

そこで、ブリスターカード上に表記されている文章のキリル文字を、ひとまず発音が該当するアルファベットに置き換えてみます。ただしアルファベットに該当するものが無いところはキリル文字を残しました。



ПРОИЗВЕДЕНО  В  БЪЛГАРИЯ  ПО  ЛИЧЕНЗ  НА  
ФИРМАТА   'МЕЧБОКС'  
СО 'МЛАДОСТ'  ФАБРИНА  'МИР'  РАЗГРАД   (ブルガリア語原文)
proizvedeno v blgarija po liцenz na firmata 'MEЧBOKS'
so mladost fabrina 'MIR' razgrad    (キリル文字をアルファベットに置き換え)

そうしますと、「blgarija」(ブルガリア)、「MIR」(ミール=メーカー名)、「mladost」(ミール社の所属した国有企業体グループ名)、「razgrad」(ラズグラード=ミール社の工場所在地)などがはっきり読み取れます。「MEЧBOKS」は「Ч」の文字の発音が「チュ」であることから、「メチュボクス=マッチボックス」でしょう。
ブルガリア製マッチボックスを譲ってもらった、ブルガリア人出品者に確認を頼んだところ、以下の英訳が送られて来ました。

Made in Bulgaria under license of 'Matchbox' company,
'Mladost' economic union, MIR factory, Razgrad

「ラズグラードの、ムラドスト・グループ/ミール工場によって、マッチボックス社の許諾下に作られたブルガリア製」という意味で、この頃は「マッチボックス」ロゴを掲げつつも、きちんとした出所表示をしていたことがわかります。
「ミール(MIR)」は生産のみを担当する文字通りの「工場」で、販売は「ムラドスト」グループが行った、「ミール」はブルガリア語で「平和」、「ムラドスト」は「若い」という意味だということです。

ミニカーはダットサン(フェアレディ) 260Z 2+2、少なくともパール・カラーの極初期モデルではなく、塗装工程の改善後の生産品と考えられます。
カードの「矢印」のデザインは、実はレズニーが1981〜1982年に、「タイプ10」というカードで使っているのですが、雰囲気はかなり異なっており、このブルー地に黄色い矢印は、ブルガリア製MIR時代に特有のものと考えて良さそうです。


*A special thanks goes to Diana Hristova for providing me a translation of the description in
 Bulgarian language on the blister card.




こちらは「MB40-A」のボクソール・ギルズマン。フェアレディと同じような緑色ですが、裏面は異なっており、生産年次などのスタンプがあります。

裏面左上の「Декeмври-1986г.」(Dekemvri 1986)は1986年12月、左下の「ВОКСХОЛ-71」は「voksxol-71」で、ミニカーの車名と年式です。

裏面の一番上は、「'マッチボックス'は、マッチボックス・インターナショナル・カンパニーの登録商標です。」といった大意でしょう。(前置詞/冠詞/単数・複数などは解読不能。)

МЕЧБОКС' е регистрирана тъговсна марка
на групата от фирми
'MEЧVOKS' e registiraha tъrgobska marka ha grupata ot f irmi
≒ 'MATCHBOX' is the registered trade mark of the Matchbox Group Companies.



1989年になって、つまり共産党政権が崩壊して社名が「Mikro」に変わった年ですが、スーパーファスト・シリーズ17台と、スーパーキングズ7台が発売になりました。ただしこれらは基本的には全てマイナー・バリエーションで、同じようなモデルばかりでした。
ブルガリアにリースされたのは新品状態の金型1つずつでした。それらはブルガリア国内のみでの販売が条件になっており、輸出はできないようになっていたため、あまり多くの生産数を見込んでいなかったのです。かつ「Mikro」社は生産が終了し次第、金型をマッチボックスに返還することになっていました。



上のカードは、時期的に1989年以降の、「Mikro」期以後と推定しているものです。
表面はユニバーサル期の方眼パターン(ただしユニバーサルが使ったものは濃いブルー地の方眼)、裏面も全て英語表記になり、「MIR」「Mikro」はもとより、ブルガリア語の表記が一切なくなりました。これではミニカー裏板の「MADE IN BULGARIA」の刻印を見ない限りは、ブルガリア製を示唆する情報が一切書かれていないことになります。


1991年、冷戦が終了して東欧圏での情勢が変化すると、スーパー・ファスト・モデル生産の「第二の波」が訪れます。「限定バリエーション」の再生産が始められましたが、しかし当初のモデルは、マッチボックス・オリジナルと同じカラーやデカールで仕上げられていたようです。このため数年後には、マッチボックス本体とブルガリアにおけるパートナーとの関係は悪化してしまいました。

東欧圏─西欧圏の国境が開かれたこともあって、これらの数多くのブルガリア製マッチボックスが国境を越え、それらのうちのいくつかは大変にポピュラーなものになりました。
この時期、依然としてマッチボックスの経営はユニバーサルの手にあります。



1993年には「マッチボックス」の経営は、香港のユニバーサル・グループからアメリカのタイコ社の手に移りました。タイコの手によってマッチボックス製品のパッケージが一新され、窓付きの紙箱/ブリスターともにオレンジと黄色の色調のものに統一されました。

「MIKRO 67」によるブルガリア製マッチボックスのパッケージも、「ユニバーサルふう」の方眼デザインを脱ぎ捨て、「タイコふう」の鮮やかなものになりました。

上のカードでは、「ブルガリア」の表記が無いだけでなく、タイコ・マッチボックスのパッケージを積極的に「模倣」しようとしていることがうかがえます。カード裏面の「3歳以下の乳児の使用には適しません」の注意書きは、ブルガリア語/ドイツ語/英語/ロシア語の4か国語で書かれていて、「ブルガリア国内のみでの販売」を条件としていたユニバーサル・マッチボックスとの契約と明らかに矛盾します。


Mikro 67, Bulgaria casting Type 13 Matchbox in the Tyco years


上の画像では左がブルガリア製、右が同時期のタイコ製「マッチボックス」純正(1996年頃の「タイプ13」と言われるもの)です。
ブリスターカードの大きさ/デザインともに全く同一。ただし右の純正品は、右上に個々の品番と車名が入るのに対して、ブルガリア製は全てを共通カードにしているため、品番・車名がありません。


Mikro 67, Bulgaria casting Type 13 Matchbox in the Tyco years


カード裏面。右の純正品では、「モーターシティ」というアクセサリー商品の紹介と、様々な注意書きやライセンス系の表示が各国語で入りますが、ブルガリア製品には一切ありません。「モーターシティ」の製品名もはずされてしまったために、単なるイラストだけになり、何のことかわからなくなってしまいました。

こうした経緯もあって、結局はマッチボックスは「Mikro」との関係を断絶。しかしいくつかのモデルの金型を回収することができませんでした。これがマッチボックスにとっては大きな禍根を残すことになります。
これら最悪の状態での提携関係解消の結果、マッチボックスとしてはブルガリア製モデルを「正規のマッチボックスとは承認しない」という宣言を発するに至りました。しかしこれまた裏目に出ました。「Mikro」社は、「どうせマッチボックスではなくなった」モデルを、手元に残った金型を使って、全くの「ノー・ルール」で生産し続けたため、カラー/デカール/ホイル換えを含めたバリエーションは1000種にのぼると言われています。場合によっては他のモデルのパーツを付けたりすることもあり、マッチボックス用ホイルを(マッチボックス以外の)他のモデルに付けて組んでしまったりすることもあったようです。




90年代の終わりになって「Mikro」社は、今度はミニカーの上に顧客の名前/ブランド/ロゴなどをプリントした製品を作り始めました。最小の発注単位は100台からだったようで、1種あたりの生産がもっと多いものもあり、その数はさまざまでした。
子供や若者をターゲットする地元ブルガリアの企業、またクルマや自動車部品関連の会社などによって、宣伝販促ツールとして使われました。マッチボックスから正規品として認められなかったこれらの「マッチボックス」は、皮肉なことに世界各地のマッチボックス・クラブのイベントなどで、「限定品」として取引されています。

ちなみに、企業プロモーションものには、以下のようなプリントをしたものが確認できます。
NESCAFE/KitKat/Coca Cola/MOTOROLA/Sony Ericson/NOKIA/SIEMENS/SAMSUNG/TOSHIBA/MYPA/JACOBS/LZ/50 Happy Birthday 等々。

どうやらブルガリアが市場経済化した後に、家電/携帯電話/消費財などを売ろうとした外国企業のものが多いようですね。ブルガリア国内企業のものは、おそらく数も多く、掌握は不可能と思われます。特にブルガリア語で書かれた現地企業のものは、うまく判読することができません。

時期および現物は未確認ですが、「Microbox」(マイクロボックス)というブランドを使用されていたこともあるようで、またマッチボックス金型の流用(もしくは複製)によるギフトセットなども作っていたようです。



マッチボックスと並行して、1983年からはドイツ「ガマ」のモデルも生産されました。最初の1〜2年は、組み立てキット形式の製品で、塗色もパール・グリーンの1色のみ。その後は通常の完成品ダイキャストも生産されました。

1995年には、「Mikro」社はドイツ市場向けのガマおよびシュコー製品の生産を開始。最初の数年はこれらはブルガリア市場では入手できませんでしたが、しかしドイツの品質管理基準に適合しないで出荷できなかった多くのモデルが、工場から流出して、ローカル・コレクターの手に渡ったようです。
「Mikro」は主としてオペルを生産。その他いくつかのBMW、メルセデス・ベンツ・ヴィト、プロモーショナルモデル、建設機械その他におよびました。

「ニュルンベルクのブリキ救急車」のところでお話したように、シュコーは1976年の倒産(破産)後、資産はイギリスの「DCM」(Dunbee Combex Marx Ltd.)社に売却されたものの、同社が1980年に再び破産。同年に競合だった「GAMA」社が購入。1993年には、「GAMA」と鉄道模型の「TRIX」が合併、1996年にはシュコー部門だけ再分離、1999年に「ズィンバ・ディッキー・グループ」(Simba-Dickie-Group)の傘下になると言う、複雑な経緯をたどっています。
したがって1995年と言うと、旧シュコーは既に倒産、かつ「ズィンバ・ディッキー・グループ」に吸収される以前で、「GAMA」「シュコー」「TRIX」が統合されていた時期にあたります。生産拠点を市場経済化してまもない東欧圏などに移してコスト・ダウンをはかり、なんとか再建をはかろうとしたのでしょう。一方でブルガリア経済は、旧ソ連邦を中心とした東欧の市場を喪失したことが大きな打撃となり、1989年頃から劇的に縮小。生活水準は1989年以前の約40%にまで落ち込んだと言われています。
欧州の市場環境の激変が生んだ、以前では考えられないガマと「Mikro」の協力関係だったわけです。

「Mikro」で生産されたモデルは簡素な箱に詰められてドイツに送られ、そこでシュコーのオリジナル箱に詰め替えられたようです。マッチボックスと違って、ガマおよびシュコーのモデルには「Made inBulgaria」の表示は無いそうで、「Made in Germany」「Made in W.Germany」の表示を付けたものさえあるそうです。
シュコーのオリジナル・ボックスに詰め替えれた時点で、我々コレクターには全くわからなくなることになります。コレクターには「Germany」「China」がある種のクォリティ保証として好まれることが理由でしょうが、これでは現在流行している「産地偽装」と言われても仕方の無いところでしょう。





上は「Mikro67」時代の、1/43モデル用のパッケージ。モデルはマッチボックス・キングサイズのフェアレディです。ドアサイドの「67」は、社名の「Mikro67」に由来するものでしょう。このモデルにも、「CocaCola」「BOSCH」のプロモーションが入ります。
箱には車名などは一切書かれていず、シュコーやGAMA製品の出荷にもこの箱が使われたものがあるようです。




「Mikro」社は、現在でも「Buddy L」(イリノイ州のモーリーン・プレスド・トイ・カンパニーによるティン・トイ)「トンカ」、2004年からは「NZG」製品を生産しています。ブルガリアでダイキャスト・モデルを100%自社で企画・生産できる唯一の会社で、これもマッチボックス/ガマ/シュコー/NZG/ヤクソン/Kidco/トンカ/Buddy Lなど、錚錚たるメーカーのリース金型で腕を磨いた結果と言えるようです。




 ブルガリア製マッチボックスの価値

上記でご紹介したように、1983年から生産された、「初期のパール・カラーのモデル」にはかなりのバリューが付くことは容易に想像できます。ユニバーサル・マッチボックスの正規許諾の下にあること、ブルガリア国内でもほとんど残っていない、とされることからも当然と言えるでしょう。



*Type K paper box with Matchbox banner logo had been used in the Lesney years 1978-1982,not used for Burgaria castings.



次に89年から再生産されたバリエーション、91年からマッチボックス・オリジナルと同じカラー/デカール(シール)を付けて生産された分、さらにその後マッチボックスとの関係を断絶後に、「Mikro」社が「勝手に」生産したモデルがあります。

「ブルガリア製」で、イラストレーション箱に入ったものを見つけ、マッチボックス箱が「模造」されたものかと色めきたったのですが、入手してみると「ブルガリア」の表記などどこにもなく、「レズニー・イングランド」の正規の箱そのそものでした。上の画像の下段はレズニー製オリジナルですが、印刷状態を比較してみても、不審な点は何もありません。

考えてみれば、このタイプのイラスト箱(Type K with Matchbox banner logo 1978-1982)はレズニー時代のもので、ユニバーサル期には使用されていませんから、ブルガリア製がこの箱に入るはずはないのですね。欧州コレクターによって、後日この箱に入れ替えられたものでしょう。紙箱を珍重される方が日本にも多いので、気をつけていただきたいと思います。




私が購入したモデルの英国人出品者のひとりは、ブルガリア製マッチボックスについて、「とてもレアで、発見するのは困難なモデル。80年代にブルガリアにリースされた金型で少量生産されたモデルで、輸出はされなかった。出品商品はブルガリアでコレクションされていたもの」という説明を書いていました。
そうであれば大変にラッキーなことなのですが、「Made in Bulgaria」=「80年代にリースされた金型で少量生産され、輸出はされなかったモデル」というように短絡しているケースもあるようで、そのあたりに混乱があるようにも見受けられます。

「Coca Cola」などのプロモーションのロゴ入りモデルと同時期の90年代後半に、マッチボックスが回収できなかった金型を使ってバリエーション乱造されたモデルの生産数は相当量にのぼるはずで、「80年代にリースされた金型で少量生産され、輸出はされなかったモデル」という説明は該当しなくなるからです。

いずれにしても、私は希少性に惹かれて買ったものではありませんし、その点については全く気にしていません。ただ、「ブルガリア」=「レア」では必ずしもないことを気にとめていただければと思います。




ところで、裏板は「MADE IN BULGARIA」に全て改訂されています。少なくともここのところは、ブルガリア人としてのプライドだったのでしょう。
上のフェアレディでは「MADE IN ENGLAND」をいったんメクラでツブし、その上に「MADE IN BULGARIA」を刻印していますが、下のリンカーンでは裏板ダイレクトに綺麗にモールドされています。

「1978」「1979」といった年号は、そもそもレズニーが金型を開発した段階での著作権発生年次を意味していて、製造年次とは何の関係もありません。オークション出品者などが、「1978年のブルガリア製」と説明していることがありますが、これはそういうことではないので、覚えておいてください。




 ブルガリアで作られた金型は39点

チャーリー・マックの「The Big Book」(The Big Book of Super Fast Matchbox Toys by Charlie Mack,Schiffer Publishing Ltd. 2005)で、「ブルガリアン」マッチボックスとして紹介されている金型は次の39点です。

MB6-B Mercedes Tourer
MB7-C VW Golf
MB9-D/74-E Fiat Abarth
MB16-B Pontiac Firebird
MB17-D/9-E AMX Prostocker
MB21-C Renault 5TL
MB22-C Braze Buster(消防車)
MB24-A Rolls Royce Silver Shadow
MB25-A Ford Cortina
MB27-A Mercedes 230SL(オープントップ)
MB28-C Lincoln Continental Mk W
MB28-C Lincoln Continental Mk W(オープントップ)
MB31-C Caravan(キャンピング・トレーラー)
MB31-E Mazda RX7
MB33-A Lamborghini Miura
MB33-E/43-F Renault 5TL
MB35-C/16-C Pontiac T-Roof
MB37-E Matra Rancho
MB39-A Clipper
MB39-C/60-I Totoya Supra
MB40-A Vauxhall Guildsman
MB41-A Ford GT
MB45-B BMW 3.0 CSL
MB46-A Mercedes 300 SE
MB46-F/57-F Mission Helicopter
MB49-D Sand Digger
MB51-B Citroen SM
MB51-D Midnight Magic
MB55-D Ford Cortina
MB56-C Mercedes 450 SEL (屋根上灯あり)
MB56-C Mercedes 450 SEL Convertible(オープントップ)
MB57-E Carmichael Commando
MB59-C Plannet Scout
MB66-B Mazda RX500
MB67-C Datsun 260Z 2+2
MB74-C Couger Villager
MB75-C Seasprite Helicopter
MBIX-A Flamin Manta
Boat & Trailer

フォード・コルチナが2つありますが、「MB25-A」は2ドア、「MB55-D」は4ドア車です。
「MB」記号の付くものは全てスーパーファスト(つまりレギュラーホイルを除く)、「67-C」は品番「67」として発売された「C」番目(3番目)の金型、という意味ですから、本来はその後にバリエーション番号が付くはずですが、ブルガリアン・モデルには一切このバリエーション番号が付いていません。
これが、「マッチボックスが正規の製品と承認していない」という点とからんで来ます。

同じ金型について、カラー違い×プリント違い、場合によってはホイル違い/パーツ違いなどで膨大なバリエーションが発生していますが、全て正規のバリエーションとして認められない、したがってバリエーション番号が付かない、ということなのです。

とくりわけプリント違いについては、「POLICE」「AMBULANCE」「TAXI」などの文字が、金型やカラーを何ら配慮することなく印刷されているようなので、したがって「マツダRX-7」の救急車(AMBULANCE)とか、「フェアレディZのタクシー」「リンカーン・コンチネンタルのタクシー」とか、そういう「とんでもない」モデルが大量に発生することになったのです。

下の3つのモデルを見ておわかりのように、車種(フェアレディ/コンチネンタル/コルチナ)に関係なく、全く同じプリントを機械的に施していることがわかります。






仮に1車種(1金型)に限って、カラー違い×プリント違いを集めて行くとしても、プリント違いには企業のプロモーションものがありますので、軽く数十種のバリエーションになってしまうでしょう。

つまりブルガリアン・マッチボックスについては、マッチボックスの通例のバリエーション集めは不可能に近く、かつ集める必要もない、ということが言えると思います。もし「POLICE」プリントにこだわるとしたら、39種の金型の全てに「POLICE」プリントが作られているかどうか確認していく、なんていう作業に追い込まれて行くことになるでしょう。黄緑色のコンチネンタルの「ポリス」を入手したところで、「珍しい」以上にさしたる意味があるとも思えません。




もうひとつ、初期のブルガリア製マッチボックスは、ブリスターの品質が悪いことに閉口します。もともとブリスター・パックというのは、透明樹脂がカードに圧着されているものなのですが、ブルガリア製では、単に別にバキュームした透明樹脂部分を、カードに接着剤で貼っただけのものだったようです。

 それで、誰かが「開封」したわけでもないのに、経年による接着剤の劣化や、海外への長旅を繰り返すうちに糊付けがはずれてしまったり、それをカバーするためにホチキスどめされていたりするものが多くみうけられます。
 ひょっとすると、最初から工場で「ホチキスどめ」されたていた疑いすら否定できません。(ハンガリー製コーギージュニアのブリスターには接着された形跡すらなく、実際にホチキスどめがされています。)
 その後、オレンジ/黄色のタイコ・マッチボックスを模倣するデザインになってから、ブリスターの品質は改善されたようです。







 ハンガリーのマッチボックス

1980年代末には、マッチボックスのライセンス生産は、ハンガリーでも行われました。
ユニバーサル・マッチボックスは、1986年に10の金型のライセンス生産と、「マッチボックス」の商標の使用許諾を、ハンガリーの「メタルボックス GMK」(Metalbox GMK)という会社に与えました。

この時期には、まだマッチボックスとブルガリア「Mikro」(MIR)との関係は断絶していないので、ライセンス生産をブルガリアだけでなくハンガリーにも拡大する志向が健在だったのでしょう。ユニバーサル・マッチボックスが世界市場の開拓に非常に熱心だったことがうかがえます。

ハンガリーでのマッチボックス生産の終了時期については、資料によってデータが異なるとされますが、概ね1988年にはライセンス生産は終了し、全ての金型はマッチボックスに返還されたとされます。
しかし、1990年頃までは、ストック部品と、オリジナルでない部品を使った組み立て生産が継続した「らしい(apparently)」とされます。いずれにしても1990年頃の旧東欧経済圏の崩壊によって、最終的に全ての生産は終了し、在庫も売り切られた、とされます。

つまりユニバーサル・マッチボックスにとっては、ブルガリアやハンガリーでの販売は、市場経済化後の状況を想定したものではなく、あくまで旧東欧経済圏の中での(つまり競争相手がいないで独占できる)マーケットを前提にしたものだった、ということになります。
市場経済化後に、ハンガリーの「メタルボックス GMK」は金型を正直に返還した一方で、ブルガリアの「Mikro」は返還せずに漁夫の利を得た、というわけです。



「MB39-B」 のロールス・ロイス・シルバーシャドウで、ハンガリー製でブリスターの残っているものは、それなりに少ないようです。ブルガリア製と同じく、ブリスターの品質があまり良くなく、長旅を何度もするうちに、ブリスターがはずれたり、破れたりすることが多いようです。

裏面はライセンシー表示が英語でされています。「MIR」製カードの裏面上部にブルガリア語で書かれていた文章と類似しています。パッケージや表示の英文は、マッチボックス側から提示・提供されたものではなくて、ハンガリーやブルガリアで独自に作成していたことがうかがえます。

既述のようにブルー地の方眼パターンのデザインは、ユニバーサルが1987年頃に「タイプ11」というカードに用いていますが、このハンガリー製のものとも雰囲気が少し異なります。




*Type J paper box with Matchbox banner logo had been used in the Lesney years 1974-1978,not used for Hungary castings.


裏板上の「MADE IN HUNGARY」の文字がお読みいただけるでしょうか。BMW 3.0 CSL(MB45-B)のスカイブルーは、ハンガリー製の独自カラーのようです。
このモデルについても、箱はレズニー時代の「タイプJ」(1974-1978)で、ハンガリー製品用に使われることはあり得ないパッケージです。

資料によっては、ハンガリーでは「メタルボックス GMK」はコーギージュニアの生産を、「メタルカー」がマッチボックスとSikuのコピーを作ったとしているものがありますが(Encyclopedia of Small-Scale Diecast Motor Vehicle Manufacturers, by Kimmo Sahakangas, Dave Weber & Mark Foster,Icongrafix 2006)、おそらくは、「メタルボックス」「メタルカー」のブランドが似ていることから来た混乱ではないでしょうか。「Metalbox」というのは明らかに「Matchbox」を意識したネーミングと思われますし、「Matchbox」ロゴタイプを踏襲する形で「Metalbox」ロゴも作られているからです。
「Metalcar」という会社はハンガリーに別途実在しており、1969年からプラスチックおよび金属玩具を製造し、現在も存続しています。「Metalcar」がかつてマッチボックス・コピーを作ったことがあるかどうかは未確認です。



上は、「マッチボックス」製品とは違って、「メタルボックス」の自社ブランドを掲げた、「コーギー・ジュニア」金型によるハンガリー鋳造製品です。ただし上のアンビュランスに関しては、裏板の「ENGLAND」がツブされているだけで、「Hungary」のモールドはありません。ブリスターカードの裏面も無地です。
ブリスターは接着されておらず、ホチキスどめされているだけです。

コーギー・ジュニアのこの金型は、E36-Bの「ヒーラー・ホィーラー」(Healer Wheeler/1973-1977)ですが、その後ラベルを貼り替えてE99-Aの「ジョーカー・モービル」(Jokermobile/1979-1981)になりました。なので、裏板にある「DC COMICS INC. 1979」のモールドは、ジョーカーモービル(=バットマン関連商品)になった時に金型改修されたまま、ハンガリーに貸し出されたことを物語っています。
ちなみにメットーイ時代の「ヒーラー・ホィーラー」は赤十字を付けているものの、全てラベル貼りですが、このハンガリー製の赤十字と「AMBULANCE」文字ははボディにプリントされています。

コーギー・ジュニアの資料(Corgi Juniors & Husky Models, A complete Identification and PriceGuide by Bill Manzke, A schiffer Book for Collectors 2004)では、「メタルボックスGMK」による生産品は別項目が立てられており、品番も与えられず、マッチボックス同様にコーギー・ジュニアの正規バリエーションとは見なさない扱いになっています。ちなみにこの「ヒーラー・ホィーラー・アンビュランス」は「1990年代」とされています。



ちなみに、ブルガリア語はキリル文字を使いますが、ハンガリー語は欧文アルファベットを使います。
キリル文字と違って、一部のアクセントのある母音字だけを拾えば良いので、上のコーギー・ジュニアのブリスターカード左下の文章を、ハンガリー語→英語のオンライン翻訳にかけてみました。



Original English tools mint and distribute the METALBOX GMK.

「英国製のオリジナル金型によって、「メタルボックス・GMK」社が鋳造・販売するものです。」
といった大意でしょう。「tool」がこの場合「鋳造に要する道具=金型」、「mint」は「鋳造する」という動詞と解釈できます。状態の良いミニカーのことを「ミント・コンディション」、箱付きを「ミント・ボックス」と言いますが、これは「鋳造したて」ということです。コイン(貨幣)のコレクションで、「未使用」を「ミント」と言いますが、「造幣局(ミント)から出荷された状態=鋳造したばかり」というところから来ています。

「angol」が「English」に相当しているのですね。「Budapest」は「ブダペシュト」と発音するようです。
残念ながら社名中の「GMK」の意味がわかりません。企業組織の形態(国営公社とか株式会社とか)ではないかと想像していますが、1980年代末から90年代がハンガリーでの民主化や旧共産党系政権への「揺り戻し」の時期と重なっているため、「国営公社」との断定もできませんでした。



「METALBOX」「MATCHBOX」はつづり的に良く似ており、「BOX」「M」「T」「A」などの文字は、「MATCHBOX」ロゴのタイプフェイス(書体)を真似ています。「MATCHBOX」商標を使用しないまでも、「一見、MATCHBOXのように見せる」という意図が全くないとは言えないデザインでしょう。


プルガリア・MIR・ライセンス契約下のもの  (MIR, Bulgaria)


ブルガリア・Mikro  (Mikro, Bulgaria)


ハンガリー・Metalbox・ライセンス契約下のもの  (Metalbox GMK, Hungary)


ブルガリア・Mikro・模倣版  (Mikro, Bulgaria)


タイコ・マッチボックス純正「タイプ13」  (Type 13 Matchbox in the Tyco years)


パッケージ上の「MATCHBOX」ロゴタイプを比較してみると、
 プルガリアのMIR時代のブルー地と、その次のMikro期の方眼地のものの2つが、オリジナルと比べるとイタリック(斜体)の角度が少し起きており、「O」のカーブが強いこと、「"」のコーテーションがダブルになっている、などの違いがあります。(実はレズニー末期のロゴはダブル・コーテーションを使っています。)

 マッチボックスとの関係断絶後に輸出を意図した「勝手に生産した版」では、かえって純正と全く同じロゴになってしまいました。一方、ハンガリーのメタルボックス版は、純正に近いながら、妙に角の丸い書体になっています。果たしてオリジナルとの識別のために「わざと変えてある」のか、わざわざブルガリアやハンガリーでで書き起こしたために結果としてこうなってしまったのか、真相は知るよしもありません。


ユニバーサル・マッチボックス純正「タイプ11」  (Type 11 Matchbox in the Universal years)


レズニー・マッチボックス純正  (Matchbox in Lesney years 1981-82)


ちなみに上は、ユニバーサル純正品の「タイプ11」と、レズニー時代のブリスターカードのものですが、ハンガリーの「Metalbox」による角の丸いロゴは、「タイプ11」のものと似ていることがわかります。またレズニー時代は「“”」のコーテーションがダブルでした。

Mikroには「Microbox」の商標で売られた商品があるそうでから、このロゴタイプも見てみたいものです。



チャーリー・マックの「The Big Book」で、「ハンガリアン」マッチボックスとして紹介されている金型は次の10点で、ブルガリア・キャスティングよりもずっと少なくなります。
これらも、ブルガリア製同様にバリエーション番号は与えられていません。リスト中の欄外に、「このほかにブルガリア製やハンガリー製の色々なカラーのものがある」(NOTE: Available as a Hungarian andBulgarian casting. Assorted colors available.)という書き方になっています。

ハンガリー製マッチボックスは、ライセンス許諾終了後金型が返還されている関係で、ブルガリア製よりは生産数・バリエーション数ともに少なく、特にブリスターに入っているものはブルガリア製よりも高値が付いているようです。


MB17-D/9-E AMX Prostocker
MB20-B Police Patrol(レンジローバー)
MB23-A Volkswagen Dormobile
MB25-A Ford Cortina
MB27-A Mercedes 230SL
MB39-B Rolls Royce Silver Shadow
MB41-A Ford GT
MB45-B BMW 3.0 CSL
MB51-B Citroen SM
MB53-C Jeep CJ6

有名なミュージカルの「マイ・フェア・レディ」で、主人公のイライザは、ハンガリーの架空の王国の宮廷舞踏会にデビューして見事に認められるのですが、ヨーロッパの中にあって「東方」の香りのするハンガリーやブルガリアは、西欧人にとって、今もちょっとした「謎」を残した地域なのかもしれません。



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