
ちょっとした「ついで」がありまして、「アサヒ玩具」の商業登記簿の謄本(閉鎖謄本)を取ることができました。
昭和42年に、法人登記規則(昭和39年法務省令第46号)によって登記用紙が移記されているために、「モデルペット」を生産・販売していた頃の事業目的欄・役員欄は、現在の謄本には出て来ませんでしたが、いくつかの事実が確認できました。
◆昭和23(1948)年8月30日・会社設立
◆昭和42(1967)年7月24日・昭和39年法務省令第46号附則第4項の規定により登記簿を
移記
◆昭和43(1968)年4月30日・資本金を600万円から1800万円に増資(8月28日登記)
◆昭和46(1971)年4月30日・資本金を3600万円に増資(47年2月25日登記)
◆昭和53(1978)年4月22日・「株式会社アサヒ」から「株式会社アサヒ玩具」に商号変更
(6月19日登記)
◆平成元年(1989)12月3日・商法第406条ノ3第1項の規定により会社解散(12月4日登記)
◆平成3(1991)年6月20日・会社継続手続き・及び「株式会社アサヒ玩具」から別商号に
変更(平成11年9月1日登記)
◆平成11(1999)年6月30日・代表取締役1名・取締役3名・監査役1名・計5名就任
◆平成11(1999)年8月10日・本店所在地を、東京都台東区蔵前2丁目7番2号から、台東区
内の別所に移転(9月1日登記)
「モデルペット」No.37のホンダN360(1967年11月発売)から、No.38クラウン・スーパーデラックス(1970年2月発売)までには2年3カ月の空白期間がありますが、この期間がちょうど上記1968年の増資時期にあたっています。おそらく、ダイキャスト・ミニカーの生産継続を前提に、経営の立て直しをはかったものと考えられます。
その後、1970年2月のクラウン(MS50系)から、1973年12月のNo.54セドリックHTまでは、バリエーション・モデルやバイク・モデルを含めて22点の発表があり、この期間内には、1971年4月末の増資があります。そしてこの増資は、No.38のクラウンの発売(1970年2月)から、No.39のクラウンの発売(MS70HT・1971年12月)までの間の、1年10か月の2度目の空白期間中に行われています。
この2回の増資については、既存の株主以外の個人・法人からの出資をあおいだ可能性もあるかと思いますが、その点は登記簿の記載事項の中には出て来ません。
ネコ・パブリッシング『国産・ミニチュアカー考古学』新版84Pには、以下の記述があります。
『昭和48年に発売された日産セドリックを最後に、ダイキャスト・ミニカーの世界から撤退していったのである。その後もソリッド等の輸入業務は継続していたが、昭和54年に倒産し、その歴史にピリオドを打った。』
この記述と突き合わせて考えますと、おそらく1973年のダイキャスト・ミニカー生産撤退後に、いったん「アサヒ玩具」から「アサヒ」に社名変更、ソリド等の輸入業務を継続。1978年に再び「アサヒ玩具」に商号変更するものの、1979年頃に事業継続が困難になったものと思われます。
(アサヒ玩具は、既に昭和38〜40年頃の時点で、「モデルペット」の製造・販売の一方で、コーギー/ソリッド/伊マーキュリー/米モノグラム/米AMTなどの日本総代理店業務を行っていました。英・仏ディンキーは、株式会社 國際貿易の扱いでした。)
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