バンパー上のマーキングは私のフィクションです。米軍車両はバンパー上に部隊所属を明記しており、「1△16E☆A10」 といった表記をします。△はAの意味で「アーマード」、Eは「エンジニア」の意味で、第1機甲師団・第16工兵大隊・A中隊・10号車 といった具合です。
同様に「101AB-326E☆C6」は第101空挺師団・第326降下工兵大隊・C中隊6号車となります。
この方式を予備隊で採用したと仮定し、「予中 本3」(予備隊中央区隊・本部第3小隊)という表示をしてみました。(中央区隊本部にMPライダー隊である「MP小隊」もあったということです。)
設定年代は昭和25年ですが、この頃のナンバープレートは「ひらがな」記号のない5桁番号を付けています。
警視庁予備隊の発足は昭和23年5月25日、警察機構改正で警視庁の定員が7,600名に増員された際に設置され、警視庁は部隊名称を「警備隊」としたかったものの、GHQが難色を示したたために「予備隊」(リザーブ・フォース)の名称になった、ということです。中央区隊・南部区隊・西部区隊・東部区隊の4区隊に分かれ、中央・東部は5月25日、南部は8月4日、西部は24年3月7日の発足となります。(『MPのジープから見た占領下の東京』53-54ページ。)
前述の『あゆみ-機動隊創設40周年記念特集』中の「昭和25年頃の点検風景」というのは、したがって予備隊発足後間もない時期、ということになり、3/4トン車を使用しているのもうなづけます。
写真に写っているとされる「ニッサン180型」は昭和16年〜19年に生産された1.5トントラックで、戦後になってもかなり使用されたようです。このことをもってしても、車両調達にはかなり苦労したことが偲ばれます。
「ニッサン180型」は軍用トラックということでは1/35キットがあってもしかるべきなのですが、日本のメーカーは、ドイツものに関する限りは、オーストリア製シュタイアー1500A指揮官車、などというかなりマイナーな車両を売り出すわりには、日本のクルマには極めて冷淡です。
警視庁自動車警邏隊の発足は昭和25年6月1日で、車種はオオタ、トヨペット、ダットサンの3台だった、とのこと。(『MPのジープから見た占領下の東京』106ページ。)
「トヨペット」は「SD」ベースのもので、これらは3台とも、『別冊1億人の昭和史・昭和自動車史』(毎日新聞社・1979年)の186ページに掲載されています。(これらの写真ではトヨペットはおそらく白一色。オオタ/ダットサンは白/黒の塗りわけで写っていますが、これらも就役当初は白一色だったかもしれません。)
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