オークションで「パトロール」で検索をかけていたら、妙なものをヒットしました。
『ニッサン・パトロール 4W60・使用便覧・日産自動車株式械會社・昭和26年11月10日発發行』。
表紙のイラストレーションは、ウィリスMBに見慣れない横格子のグリルを付けたような車両です。『これはウィリスMBからの改造で作れる!!』と直感して、早速入手しました。
「ニッサン・パトロール」として馴染みがあるのはおそらくは60型以降の型式で、その後は機動隊指揮車などに多用され、トヨタ・ランドクルーザーよりもよく見かける車両になりました。
しかしこの「初代・ニッサン・パトロール4W60」は、そもそもは軍用車両としての開発経緯を持っています。当サイト、「ノスタルPCファクトリー」「トヨタ・パトロールBH/FH26」のページ中に以下の記述があります。
『「ランドクルーザー」とは言っても、それは当初は「トヨタBJ型ジープ」と言っていたもので、初期BJはウイリスのMBよりもエンジンルームの高い、バンタムBRC40のような印象のスパルタンな車両です。1951年に警察予備隊からの大量発注を目的に開発スタートしたものの、入札前の試験で三菱ジープに敗れ、1953年にようやく警察からの発注を受けてBJ20型として生産開始されたものです。
型式記号「BJ」の頭の「B」は「B型エンジン搭載車」ということですから、トヨタパトロールBH26と兄弟であることがわかります。
「ランドクルーザー」を名乗るようになったのが、「ジープ・Jeep」がウイリス/三菱の専使用商標となって、トヨタでは使えなくなったためです。「ランドクルーザー」の名は意外に古く、1954年6月からです。』
文献としてキチンと整理されたものを持っているわけではないので、私の推測も入りますが、
諸資料を総合すると以下のような事情が浮かび上がります。
◆1951(昭和25)年6月25日・朝鮮戦争勃発
◆1951年8月10日・警察予備隊令交付
◆1951年頃、トヨタ、日産、三菱に対して、警察予備隊から1/4トン・トラックの開発仕様が
提示され、各社での開発はじまる。
◆これに対して、トヨタが応えた車両が「トヨタBJ型ジープ」、日産が応えたのが「4W60」、
三菱重工が応えたのが、「CJ3B」系列の「三菱ジープ」。「三菱ジープ」は、ウィリスMBを日本でライセンス生産したもの。
◆入札前の試験で、「トヨタBJ型」「日産4W60」は敗れ、「三菱ジープ」の採用が決定。以後
「三菱ジープ」は、自衛隊正式の1/4トン・トラックとなる。
◆1952年4月28日・対日講和条約・日米安保条約発効。
◆1953年頃から、トヨタ「BJ20型」、ニッサン「4W60」は警察等からの発注を受けて生産される。
◆「ジープ」の商標と、縦格子グリルの意匠は、三菱に専使用権があるため、トヨタは「ランドクルーザー」、日産は「ニッサン・パトロール」の商標と、横格子グリルで生産・販売される。
※ここで言う「三菱」は「自工」ではなく、重工です。自工は1970年まで設立されません。
三菱重工は1950年に東日本重工業(後の三菱日本重工)、中日本重工業(後の新三菱重工)、西日本重工業(後の三菱造船)の3社に分割されるとともに「ふそう自動車販売」が設立されています。1953年からウィリスジープのノックダウン組立を開始するのは、このうちの「中日本重工」です。また1954にはジープ用4気筒ガソリンエンジンJH4型国産1号機が完成しています。
※「トヨタBJ型ジープ」は、「隊長」さんが、2005年1月2日に「画像貼り付け可能掲示板」に投稿していただいた画像(TOYOTA・TSゴールドカード向け会員誌『Harmony』第22号・トヨタファイナンス株式会社発行)の車両です。
どうして「入札前の試験」で「三菱」に採用決定してしまうのか、といったことに踏み込むと、なんかとってもマズい気がするので、ここではとりあえずヨコに置いておきましょう。
(別に私は何か特別なことを、知っているわけではありません。)
つまりアメリカの戦勝を支えた、逆に言うと日本の敗戦の原因にも関連してくる「ジープ」を、トヨタ・日産・三菱がそれぞれに「解釈」しようとした結果、三菱は本家本元の「ウィリスMB」をそのままライセンス生産して移植するという選択をし、結果としてこれがトヨタ・日産の「解釈」より優位性がある、と判断されたということでしょうか。警察予備隊・自衛隊はウィリスMB(米国生産版および三菱ノックダウン版)そのものも装備していますから、部品の互換性、といった点も考慮されたかもしれません。
前線での過酷な使用が必要な軍用車両では、新たに設計・製造された車両に発生する不具合や稼働率低下のリスクを抱えるよりは、「ウィリスMB」が太平洋/北アフリカ/ロシアなどの過酷な使用環境を含む5年間の戦闘体験を持っていることの方が優位性を持つのは仕方のないこととも思われます。いずれにしても73式小型トラック至る流れとして、自衛隊の1/4トン車は長く三菱がシェアすることになります。
何故「三菱」がウィリスとライセンス生産契約を結ぶことが可能だったのか、といったことに踏み込むと、これまたなんかとってもマズい気がするので、とりあえずヨコに置いておきましょう。
「零式艦戦」「一式陸上攻撃機」や「戦艦武蔵」「特二式内火艇」(水陸両用戦車)などを作っていた三菱にライセンス権を渡すということは、それまで日本の旧軍需産業を分割し、弱体化させようとしていた占領政策とは明らかに異なる流れであり、対日政策の180度の転換を意味します。単に三菱とウィリスという民間企業同士の提携レベルの問題ではないことは言うまでもありません。
三菱は戦前・戦中に霞ヶ関(海軍省)や海運との結びつきが強かっただけでなく、丸の内の「三菱」の土地は1891年に陸軍用地が払い下げられたものです。
また大戦中には、トヨタは「ジープ」を参考に「四式小型貨物車」を独自に製作。三菱には「ふそうPX33型四輪乗用車」などの製作経験がありました。「四式」というのは採用年を皇紀(昭和15年が2600年=零式(海軍)・100式(陸軍))で表していて、昭和19年になります。
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