Nostalgic Patrol Cars Season 2

「オスタルギー」の緊急車(2)


Die Krankenwagenmodelle aus der DDR und der Tschechoslowakei (2)






「その後」に届いたモデルをご紹介します



これまでは何かテーマを決めて特集企画を作ると、その主題で1ページを一気に作ってアップし、そのページについては継続的な更新をあまりやらずに来ました。
更新のたびに「違うテーマ」に乗り移って来たということで、良く言えばそれだけ色々なテーマに取り組む時間とエネルギーがあったことを物語りますが、悪く言えばひとつひとつのテーマが「やりっ放し」で、その後あまりアフターケアを受けることなく、放置されてきた、ということでもあります。

サイトの更新用に色々なテーマを探して来た、つまり「コレクションの結果をサイトで紹介している」のではなくて、「サイトのテーマ探しのためにコレクョンをしている」という状況が発生していたことも否ない面があります。

ところが最近、必ずしもサイトの更新のためではなくて、少し深めてみたいテーマが見えて来たような気もしているのですね。それぞれのテーマのページに新着のモデルを追加していきたいのですが、各ページの真ん中あたりや最後の方に追加したのでは、どれが追加されたモデルなのか、まぎれてしまってわからなくなるので、追加分だけを分離してご紹介するようにしようと思い立ちました。それがこのページの趣旨です。したがって、少し時間が経った段階では、それぞれのテーマの本編の方に収容していくことも考えています。(2010/1/3)


 「東への郷愁」モデルのその後 (2010/2/14)

 

2008年1月に「オスタルギーの救急車(1)」の記事をアップしてから、早いものでもう2年が経過しています。その頃は、ドイツのオークションサイトで見られる「オスタルギー」(ドイツ語の「オスト」(東)と、「ノスタルギー」(郷愁)から造語された言葉で、「東への郷愁」の意味)という現象を大変にいぶかしく思ったのでした。2010年2月11日現在でも、eBayドイツで「ostalgie」で検索すると3,389件もの出品があるのですが、最近になって、この現象の本当の意味が少しわかりかけて来ました。

2009年11月9日の夜に「ベルリンの壁」が崩壊してから昨年は丁度20年にあたり、そのためドイツやフランスで特集のTV番組が制作され、いくつかは日本でも放送されました。その中ではいくつもの興味深いエピソードが伝えられました。例えば、

-2009年11月9日の夜からしばらくの間、多くの東ベルリン市民が壊れた「壁」を抜けて「西」側に流入し、ホテルなどの宿泊施設の空きもない状態の中、一般の西ベルリン市民が「見ず知らず」の東ベルリン市民をホーム・ステイさせた。

-壁の崩壊直後は、東ベルリン市民が買い物などで店舗に訪れるだけで、あるいは街を歩いているだけで、服装や態度でそれが「東」の市民てあることがわかった。

-分断時代には、東からの脱出者と西ベルリン市民による、後続の脱出を支援する組織が活動していて、トンネル堀りなどを実際に行っていた。これらの活動は、それを阻止しようとする「東」当局との間で「イタチごっこ」を演じることになり、最終的には全ての下水道までが鉄格子で塞がれることになった。

-壁の崩壊と東西の統合によって、「東」の市民は「自由な社会」と「豊かな経済」を期待したが、結果的には大量の解雇と雇用崩壊が起きた。競争の無い中での生産・販売しか経験のなかった東ドイツの企業体は、一挙に流入した来た「西」の商品・企業に対して全く競争力が無く、相次いで倒産してしまったためである。統合後にも引き続き職務を続行できると考えていた「東」の警察官のうちで、現職に留まることができたのは1/3程度に過ぎなかった…。



NHK教育TVで2009年4月から9月末まで放送された「テレビでドイツ語」では、在ベルリンのレポート役を担ったユニアーネ・マッカーティーと、スタジオでのトーク訳のフランク・リースナーの2人がともに「東」地域の出身で、ベルリン市内の映像レポートの中でも「壁」のメモリアル、「DDR」博物館、ナチス時代の防空壕や冷戦下で使われたシェルターなどの地下施設を探訪する企画が組まれました。こうしたことは、かつては考えられなかったことです。(ベルリン・ロケに制作費をかけていることと、時代的なテーマを積極的に扱うという2つの面において。)

これらの現象の中で語られるトーンは、『〈東〉の全てが悪かったわけではない。〈東〉にも良いところはあった』 というものです。

壁崩壊20周年での特番では、継続雇用されなかった旧東ドイツの警察官が、「東」時代のポリスカーのミニカーを並べている姿が映し出されました。NHKの語学番組では、「DDR博物館」を訪れたユリアーネが、小学校時代に使った「共和国記念日」のカードや「東」の名物お菓子を懐かしんだり、展示されている「トラバント」(東ドイツの代表的乗用車)の運転席に乗り込んで感慨深げな姿を写しました。彼女の一家はトラバントに乗って実際にチェコまで行ったそうですが、彼女は子供だったので、トラバントの運転席に座ったことは一度もなかったのです。

ベルリンの壁崩壊から20年ということは、既に10代のベルリン市民は「壁」を知らないことになります。20代後半から30代以上の世代は、学校や社会参加の経験として「東」を知っていることになり、彼らにとって『〈東〉の全ては悪だった』と断定されてしまうことは、自分の体験や人格形成の一部を否定されるような想いにつながるであろうことは察しがつきます。彼らは別に好んで「東」の社会体制を選択したわけではなく、ただ不可避的に彼らの青春は「東」の中にあったのですから。

『〈東〉の全てが悪かったわけではない。〈東〉にも良いところはあった』という気持ちは、ここのところに根ざしているのでしょうし、壁崩壊から20年経って、ようやくこのことを表立って言うことができるまでに「統一ドイツ」が落ち着いて来たということなのでしょう。

ナチズムへの対処を含めて、ドイツ人は「歴史を客観化する」という体験をし続けて来ていますから、今後も「東」時代への相対化の視点は深められて行くものと思います。
シュタージ(旧東ドイツの国家秘密警察)が収集した個人に対する調査情報などは、もし自分自身に関する調査記録が存在する場合には当事者本人が閲覧可能になっています。博物館化された旧シュタージ本部庁舎の中に管理されていて、統一ドイツ連邦政府の警察/情報当局には渡されませんでした。国家社会主義(ナチズム)への支持はドイツでは違法ですが、「東への懐かしさ」という市民感覚は尊重され、残っていくものと思っています。それは決して政治的なものではないのです。

「オスタルギー出品」の中で、私も1953年のドイツ赤十字(東ドイツ赤十字)の1周年記念切手の初日カバーを買い求めました。



モデルカーの世界でも、「オスタルギー」現象は継続中で、以前にご紹介したグレール・モデルがバリエーションを含めた新作を追加しているほか、ブレキーナなどの旧「西」側地域所在のメーカーや、中国製モデルなどでも旧東ドイツの車輌が製作されています。プラキットではドイツ・レベルが1/24のトラバントのモデルを発表するなど、いわば「静かなブーム」が続いています。

先日は、スロヴェニアの方からメールをいただきました。言語はドイツ語でしたが、当サイト上にあるチェコ・IGRA社製のシュコダ1201の救急車について、『これは売り物ではないのか、長さはどのぐらいのモデルか』、というお尋ねのようでした。シュコダ関連のサイトをやられている「シュコダ・マニア」の方のようでしたが、いくらなんでもチェコ製モデルを敢えて日本から買わなくても、ヨーロッパで入手できるはずだ、とお答えしました。そうそう、当サイトの表紙に、『これらのミニカーは売り物ではありません』という表記を追加するのを忘れないようにしましょう。


 グレール・モデルの新作バリエーション



ノルトライン・ヴェストファーレン州・ビーレフェルト(Bielefeld)市(ここは旧「西」ドイツ)所在の「グレール・モデール」(Grell Modell)は、当初はビールなどの企業プロモーションのカードに入った製品ばかりを出していたようですが、その後は普通のミニカー・シリーズとしてのパッケージの製品も出回っています。

いわば「東のVW-T1/T2」に相当する「バルカスB1000」は、当初はボディ側面窓の無いバン(カステン・ヴァーゲン)タイプのボディでしたが、その後窓のあるマイクロ・バス・タイプのボディも作られ、魅力的な救急車モデルが追加されました。

ブリスターを破ってもいいか、と思ってはいるのですが、パッケージ自体が何となく「東への郷愁」を感じさせるデザインになっていて、撮影にあたってはまた温存してしまいました。

アイボリーの塗装色の微妙な違いのほか、赤十字の位置、ホイル、屋根上回転灯の数(1灯と2灯)などの異なるバリエーションを作っています。




下は、以前にもご紹介している「バン」タイプ。赤十字マークが太すぎることで雰囲気を壊していました。別に東ドイツ赤十字(DRK-DDR)が特に太い赤十字標識を用いていたわけではありません。



同じく「フラーモV109」の救急車にも新しいカラーが作られました。こちらも赤十字が適正サイズになり、塗色がアイボリーになって、ずっと良い感じになりました。
このモデルはいまだ、ビールのプロモーション・パッケージに入っています。右は以前にご紹介した分。






下は、ヴァルトブルク(Wartburg)353のエステートで、これを「コンビ」(Kombi)と呼びました。

東ドイツ郵便仕様ですが、「西」のドイツ郵便(DBP、民営化後はDP)と同じホルンのマークを付けているのが面白くて買い求めました。つまり「ドイツ赤十字」と「ドイツ郵便」は戦前からあり、分割後は「東」と「西」の両方に「ドイツ赤十字」と「ドイツ郵便」が存在したのです。

「ヴァルトブルク」を「ヴァルツブルグ」と書いた記述などを見掛けますが、「t」には「
s」が伴っていないので「ツ」にはなりません。また通常語尾の「g」や「d」は濁らずに「ク」「トゥ」になります。




下は、車種は同じ「ヴァルトブルク353」ですが、セダンをタクシーにしたもの。
グレール・モデルは、「ヴァルトブルク353」でセダン/エステート(コンビ)/ピックアップ・トラックを作っています。使い勝手の良いクルマだったのでしょう。

中国製のモデルですが、変に作り込み過ぎず、「東ドイツ時代のミニカー」と言われても納得してしまいそうな佇まいを残しているところがポイントと言えるでしょう。

「グレール」のミニカーは裏板は「China」だけで車名の刻印がなく、プロモーション用のパッケージではカードにすら車名が無い場合があるので、裏板に紙ラベルでも貼って車名を書いておかないと後でわからなくなって困ります。



下は同じタクシーですが、ソ連製・GAZ-MZ410です。
東ドイツのタクシーというのは馴染みがないですが、Sikuやシュコーの作った「西」のタクシーと同じようなアイボリーに塗られています。



 「東」側車輌の専門ブランド「IST」も登場



一方、こちらは1/43の新しいモデル。

「ist」モデルズは、旧「東」側の車輌の再現に特化したブランドで、「イスト」ではなく「イースト」と発音してくれと書いており、「East」(東)にひっかけたブランド名になっています。
ブランドマークは旧東側社会主義国の国家標章を彷彿とさせるもので、「ist」には英語の接尾語で「主義者」という意味があるので、そのあたりとも引っ掛けているのかもしれません。
ドイツでは「ist」は単に英語のbe動詞にあたる「sein」の三人称単数現在(英語
のis)の印象が強いので、「East」(Ost=東)を連想させるのはちょっと苦しいようにも思います。

供給元は「PREMIUM & COLLECTIBLES TRADING Co. Ltd.」、香港から60km、マカオから100km北の「シェンツェン/シェンチェン」(Shenzhen)に所在します。これは、「IXO」モデルズと同一のファクトリーです。
http://www.istmodels.com/home.asp

ドイツ/ソ連邦/ルーマニアの車輌の1/43モデルを結構な数出しており、このバルカスは2009年の製品で、アイボリーの赤十字(1963年式)の他にグリーンの軍用(1964年式)と赤の消防(1970年式)仕様、側面窓を塞いだコマーシャル・バン(1960年式)もあります。

「グレール」モデルとは違った、現在流行の精緻なモデルで、バルカスの実車の雰囲気を偲ぶことができます。




1/87モデルのブレキーナによる「ヴァルトブルク 311」のドイツ赤十字車。
ブレキーナは「DDR プログラム」というシリーズに積極的に取り組んでおり、ヴァルトブルクやトラバントの乗用車やエステート、バルカスのバンやマイクロバス、ロブール(Robul)やIFAのトラックなど、かなりの数をモデル化してきています。ただし生産量があまり多くないのか、特定のバリエーションなどはすぐに見かけなくなってしまうきらいがあります。

今年も2月4日から9日に、ニュルンベルクのトイ・メッセが開かれていますから、「DDRプログラム」でも何か新作が発表されているかもしれません。
ただ、ドイツの全てのメーカーが「東への郷愁」の製品化に熱心なわけではなく、「Siku」などはこの点に関しては沈黙を守っているようです。




     




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