Nostalgic Patrol Cars Season 2

インゴルシュタットの休日


Ein Rettungsdienst auf einem Feiertag in Ingolstadt







1/43で生活感のあるディオラマを



1/43の救急車が集まって来ると、同スケールの救急隊員のフィギュアが欲しくなって来ます。出来ればストレッチャーに患者さんを載せて、担送中のところがいいです。
マッチボックスのキングサイズとかに、そういうフィギュアが入っているものがありましたが、ドイツ赤十字隊員のちゃんとした人形は、1/43では見たことがありません。
仕方なく、自作してみようか、と思い立ちました。

どうせなら、何か背景になる建物も欲しいですが、1/43でDRK(ドイツ赤十字)施設や病院の建物を作るというのも、なかなか困難そうです。いま流行りの「1/48」ミリタリー用の資材で、何か使えるものがないか、と考えるに至りました。情景模型というと、まだまだ大半が「戦場」の風景ですが、普通に生活感のある情景を作ってみたい、というのが今回のテーマです。(2007.2.17)





1/43と1/48の永遠の相克


ところで皆さんは模型(ミニカーも含む)の、スケールについて疑問を感じたことはないでしょうか。
ミニカーは1/43、飛行機モデルや最近発売の多いミリタリーは1/48です。これがいっそどちらかに統一されていたら、車輌/フィギュア/建物/アクセサリーなどの応用範囲が随分と広がるのに、と思ったことはありませんか?  同様に1/35のミリタリーと1/32の飛行機、1/72・1/76・1/87とバラバラな小スケール・ミリタリー、1/144の飛行機や食玩戦車と日本型1/150・欧米型1/160のNゲージなどはもう少し何とかならないものなのでしょうか。少し脇道に逸れますが、このことに少しふれておきましょう。

実はこれらのスケールの違いは、鉄道模型の「ゲージ」と、そして英米の12進法、日独などの10進法の尺度と深い関係があるのです。模型のスケールでは、分母が「12」で割り切れるものが多いですね。1/12・1/24・1/48・1/72・1/96・1/144・1/288・1/600・1/720・1/1200といった具合です。1/288は大型の航空機、1/600以下は艦船模型で使われることがあります。これは英・米では、12インチが1フィート(30.48cm)という尺度(ヤード・ポンド法)が使われていたことと関係があるのです(イギリスは1995年から原則的に国際単位系に移行)。
「1フィート:1/4インチスケール」という表現を、モノグラムなどの古いプラキットでご覧になった方があるかもしれませんが、これは実物の1フィート(12インチ)を模型上の1/4インチとして表現する、ということで、つまり1/12の1/4ですから、これでピタリ1/48になるわけです。
同様に、「1フィート:1インチ」スケールで1/12、「1フィート:1/2インチ」スケールで1/24、「1フィート:1/6インチ」スケールで1/72、「1フィート:1/12インチ」スケールで1/144、になります。

それでは、1/43という、12で割り切れないハンパ・スケールはどこから来たのでしょう。ここで鉄道模型のゲージがからんで来ます。HOゲージの普及以前に鉄道模型の主流だった「Oゲージ」は、軌間(レールとレールの間の幅)32mm(厳密には1.25インチ・31.8mm。「0.25」というハンパは、「1/4」(aquarter)という概念で、英米では良く使われます。)です。標準軌(JR軌より幅の広いいわゆる広軌)である1,435mmに対して31.8mmは約1/45で、戦前のアメリカには1/45(17/64インチスケール)があったようですが、「モデル・レイルローダー」という著名な鉄道模型誌が掲載していた図面が「1フィート:1/4インチスケール」だったことなども影響して、現在でも米国型Oゲージは1/48を主流としています。



ところがイギリスでは、軌間は同じ1,435mm標準軌ですが、鉄道車両の断面が米国型より小さいのです。簡単に言えば、トンネルも何も無い大陸横断鉄道として使われる米国型と、鉄道発祥の昔から狭い国土をくぐりぬけつつ走らなければならない宿命を背負った英国型との違いだと思ってください。
32mmの線路の上を走る模型車輌が、そのままでは米国型と英国型で大きさに差が出てしまうことを避けるために(現在のスケール重視の考え方から行けば、模型の大きさにも差があって当然なのですが)、英国型のスケールを少し大きくしたのです。
それで英国型を含む欧州型の「Oゲージ」は「1フィート:7mmスケール」、実物の30.48cmを模型の7mmで表現する、つまり約1/43になるのです(電卓で割ってみてください。304.8÷7 です)。英国型だけでなく10進法のメートル法を使う独・仏などを含む欧州型全般に適用されるために、インチではなくミリが登場していることに注目してください。(ちなみに日本型は「Oゲージ」は、線路の幅そのものが違うために1/45です。)

また、模型軌間16.5mmの英国型は1/76、米国型と欧州(英国を除く)は1/87、日本は1/80です。
そして英国型1/76を「OOゲージ」と言います。エアフィックスの1/76ミリタリーには、「HO-OO」という表現がされていて、1/87・HOと1/76・OOを一緒に扱うとは何ともいい加減な、と思われる方もいるかもしれませんが、1/76・1/80・1/87は、16.5mmの模型線路の上に共存を許された存在なのです。
「Oゲージ」では「欧州型」として1/43を採用したヨーロッパでも、16.5mmゲージでは英国型1/76に対して、独・仏など英国以外は1/87スケールを採用したわけです。そして16.5mmゲージ・1/87は、「Oゲージ」の半分(half)であるということで、「Half O」つまり「HO」と呼ばれるようになりました。



余談ですが、かつては飛行機模型でもフジミの1/70、エルエスの1/75、マルサンやタミヤの1/50といったスケールが主流だった時期がありました。つまり「12」ではなくて、「5」や「10」で割り切れる縮尺ということで、これは日本がメートル法を採用したことと関係があるのです。実際ドイツのファーラーは1/100の航空機モデルを作っていましたし、ヴィーキングはHOを1/90と表示していた時期があり、またコンラートやNZGはトラックや建機モデルに1/50を採用していました。つまり日本人やドイツ人にとっては、1/48の方がハンパに感じた、ということです。現在でも建築図面は1/50・1/100で引きます。

実は1/32というスケールは、分母が12で割れないので、上記の流れの中では説明できないのですが、これは私の推測になってしまいますけれど、ヨーロッパの「鉛の兵隊」の伝統から来る「54mmスケール」から来ているのではないでしょうか。一方で現在のミリタリーモデルの主軸スケールである1/35は、「タミヤがモーターライズ戦車を作るのに丁度いい大きさだった」といったことを書いていた模型誌がありますが、タミヤ以前にモノグラムが1/35のミリタリーのシリーズを作っているので、タミヤが1/35を初めて採用したわけではありません。アメリカのミリタリーでも、レベルやスナップが1/40、レンウォール1/32、モノグラム1/35、オーロラ1/48で、非常に統一感の無かった時期がありました。その後でミリタリーに参入したメーカーが日本/イタリア/フランス/香港など、メートル法文化の国ばかりだったので、1/32ではなく1/35に傾斜していったのではないでしょうか。エアフィックスはかなり後まで1/32のミリタリーモデルを作っていました。
『プラモデルで見る世界の戦車史』(笹川俊雄著・土居雅博監修・大日本絵画・2000年)p6に、『モノグラムはこのハーフトラックとヴィーゼルから1/35に変更したが、時すでに遅かった』という記述がありますがこれは誤りで、モノグラムの1/35の初版リリースは1957年にまで遡ります(MonogramModelswith price guide, by Thomas Graham, Schiffer Publishing 2006, p147)。モノグラムがW号戦車で1/32を採用するのは、ずっと後年の1970年です。おそらく再販のタイミングを新金型と誤解されているのでしょう。


もともとは「Oゲージ」である1/43と1/48の共存を考える


話を元に戻さなければいけませんね。
つまり言いたかったことは、「Oゲージ」31.8mmの線路の上では、1/43と1/48は共存できる、ということなのです。最近、1/48のミリタリーモデルのキットが増えて来たということで、「1/48航空機と共存させる情景」などというものが作られるようになりましたが、『不時着して来た航空機のところに駆けつけてきた戦車』といった、誠に不自然な設定のものになっているようです。
それだったら、いっそ1/48・米国型Oゲージや、1/48ミリタリー用の建物やアクセサリーを上手く活用して、1/43ミニカーが置くことのできる情景を作ったらどうだろう、というのが私の提案です。
(たぶん誰も賛同してくれないでしょうし、普及もしないでしょうが…。)



使用したキットは、ヴァーリンデン・プロダクツ・1/48スケールのレジン製、#2272「GermanFarmHouse」、#2206 「Cobblestone Road System」の2つです。

ヴァーリンデン(タミヤの情景模型パンフレット用の作品などで有名になったモデラーであるフランソワ・ヴァーリンデンが起こした会社)は、非常に多くのディオラマ用資材を制作・販売していますが、圧倒的に多いのが1/35スケールで、1/48はまだ極めて少数です。
それと、1/35にも共通して言えることですが、ミリタリーモデリング用の「建物」は、大半が崩れ落ちた
「廃墟」(ruin)ばかりで、建物としての完全な姿をとどめるものは、これまた極めて少数なのです。
これは1/35モデラーにとっては、建物全体の模型というのは極めて巨大になってしまい、「廃墟」つまり建物の一部、一角だけにすることでサイズを適正化している、ということでもあります。

その中で、ミニカー用に転用できると思われる1/72〜1/48スケールは、1/35よりもサイズが小さくなるために、建物全体を再現できるキットが何点か入手できます。この「ファームハウス」もそのひとつで、1/48ではこの他にも、#2284「German Barn」、#2285「German Barn with Base」があります。

この「ファームハウス」のキット、日本の模型誌にも広告掲載されていて、それで私もキットの存在を知っているわけなのですが、店頭ではついぞ見かけず、日本のショップの通販サイトの在庫リストにも無しで、これでは全くお話になりません。おそらく価格から言っても入荷数量が少数で、見つけ次第常連客が買って行ってしまうのでしょう。仕方なく、カリフォルニアのショップから買いましたが、「ファームハウス」と「ロード・システム」の両方をリスティングしているところが無く、別々の店から買うことになりました。フランソワ・ヴァーリンデンはベルギーの人、というイメージが強いですが、現在のヴァーリンデン・プロダクツの住所は合衆国・ミズーリ州になっており、パッケージの表示も「Made in the USA」になっています。。ベルギーのeBayを見てもヴァーリンデン商品はほとんど何も無く、やはり一番在庫があるのはアメリカのようです。

カリフォルニアから買うルートの無い人はどうすればいいんだ、という声が聞こえて来そうですが、それははっきり言って私のせいではありません。輸入品のモデル素材を扱っている模型店に行って、入荷するかどうか、聞いてみてください。「入るアテはない、わからない」というところで引き下がらないで、問屋経由で在庫や入荷予定を聞いてもらい、予約する、というところまでネバってみてください。

ミリタリーモデリングの素材を使いつつも、ミリタリー・ディオラマではなく、かといって自動車模型も作っていないということで、モデルコンテストなどでもジャンル的に出品できるところがもはやなくなってしまいました。私にとってはこの「街角」そのものが、単なる「背景」ではない「模型」そのものなのですが。





工作ポイントを少しだけお話しましょう



実は工作のプロセス画像は1枚も撮っていないのですが、少しだけ手順をお話しましょう。

はじめは、壁の平面ごとに分割されたレジンパーツを瞬間接着剤で組み上げ、塗装をしよう、という程度にしか思っていなかったのですが、キットのパーツは窓が抜けていないだけでなく、網目状のモールドになっているのを見て、少々不安になって来ました。つまりこの「ファームハウス」というのは、本当に人間が生活する建物なのだろうか、という点についてです。

「ファームハウス」を単純に「農家」と考えて良いものか…。単に「農場にある建物」なのではないか…。
別商品である「2284」番の「バーン」というのは「納屋」で、これは人の住むところではないようです。
ミリタリーモデラーにとっては、結局戦車がパークしている情景の「背景」に過ぎないので、たいしたこだわりもない、ということなのでしょうか。

せめて窓の表面に、裏側を暗色に塗った透明プラ板を入れ、窓枠を入れて人間が住んでいる建物にしようと思い立ち、試行錯誤の結果、結局モーターツールで窓を開口する大騒ぎに発展しました。
同じヴァーリンデンの1/72の建物は、レジンのムク状態で成型されていて、とても窓は抜けないのですが、1/48では板状のパーツを箱型に組む形式になっているため、窓は抜こうと思えば抜けるのです。窓はそれ自体窪んだ凹部になっているため、厚さはせいぜい4〜5mmというところでしょうか。

また実際の風景写真を見ると、建物はおしなべて石組みの基礎の上に乗っているように見えます。これは「人間が住む建物」としては重要な点なので、タミヤの1/48・レンガセットを使って基礎部分の立ち上がり部分を作り、その上に建物を載せることにしました。

さらに、フォルマー/ファーラーなど、ドイツ製のHOの建物には、必ず「雨樋」が付いているものなのですが、このヴァーリンデンのキットには、HOの2倍の大きさがあるにもかかわらず、「雨樋」がありません。それで縦樋はプラ棒で、横樋は少々のオーバースケールを覚悟で、プラ・パイプを2つに割ったものを取り付けました。



窓を抜いたことで、窓ガラスとして透明プラ板を嵌めることができるようになり、せっかくなので建物内にムギ球を入れて点灯できるようにしました。左手の街灯は、タミヤの1/48「道標セット」に付属のものに、ムギ球を仕込みました。
窓に薄い紙で「カーテン」を作るとともに、建物内にはアルミテープを貼って、光が建物内の全体に回るようにします。カーテンを含めてこの作業をしないと、ムギ球だけが単独で点灯している状態になり、窓全体が明るく照明されるようにならないのです。

窓枠は、透明プラ板に細切りの紙を貼ったものです。つまり窓枠にガラスを嵌めるのではなくて、ガラスに窓枠を貼ってしまうのですね。こうすることで、複雑な窓枠を切り抜く作業が無くなるとともに、窓枠を細く加工することができます。プラスチック・モデラーは、何でもプラスチックで作ろうとして意地を貼る面がありますが、紙・金属など、適材適所でプラスチック以外の素材を活用する発想も必要と思います。



キットの商品名は「ジャーマン・ファーム・ハウス」ですが、ヴァーリンデンさんはベルギー人ということもあり、本当に「ドイツ様式」の建物になっているか少々心配です。欧米人にとって、日本・朝鮮・中国の建物の様式がたぶんわからないように、私たちには独・仏・英の建物の違いが良くわかりません。そもそも、ドイツ様式だとどこが違うのでしょう。
木組みと漆喰壁で構成されるこうした建物のスタイルを、「ファッハヴェルク・ハウス」と言いますが、実は木造軸組みのように見えて、漆喰壁の中は石組み(南ドイツ)またはレンガ積み(北ドイツ)がされているそうです。「ファッハ」というのは「仕切り」ということです。壁が木で細かく仕切られているように見えるからでしょう。英語では「ハーフ・ティンバー」と言います。

これについては、面白いことがありました。丁度建物の塗装がほぼ終わったところで、コーギーのアイスクリーム・バン(447番)のミニカーがイギリスから到着したので、坂道の上にこのミニカーを「なにげに」置いて画像に撮り、メールで送ったのです。そうしましたら、『そう、アイスクリーマーは、こうやって街から街を売り歩いたんだよ!』という返事が来ました。
もともとがドイツの農家、やがてドイツのレストランに化けようとしているとは全く知らず、彼にはごく自然にイギリスのローカルな民家に見えたようでした。ということは、案外、独・仏・英の建物の決定的な違いなんて無いのかもしれない、と思ったのです。

少しして、レストランの看板やドイツ語の案内標識を付けたところで、今度はVW-T1を載せてドイツ人に画像を送ったところ、今度は「このヴィルツハウス(食堂)は、何かのキットから作ったのかい?」というリアクョンでした。ということはドイツ人にとっても「食堂」としてどうやら不自然ではないらしいので、意を強くした、というわけです。


小物類による演出で雰囲気は随分変わります



路面は同じヴァーリンデンの「カブルストーン」(栗石舗装の路面)を使って、ヨーロッパらしさを出すことにしました。敢えて手前の車道に勾配を付けて坂道にし、変化を付けています。坂道から上の歩道まで立ち上がっている部分も、タミヤのレンガセットを使っています。
カブルストーンのモールド表現は少々大袈裟ですが、平面に建物を置いただけでは、「納屋」っぽく見えてしまうところが、何となくドイツの「街角」らしい佇まいになったのではないかと思います。「高低差を付ける」というのは、ディオラマや鉄道レイアウトに変化を付ける上ではかなり有効です。
バーリンデン製路面のラフな石組みと、タミヤの律儀なレンガ積みを比較してみると面白いです。もしかして日本の模型は、まだまだ「マジメすぎる」のかもしれないですね。

道路標識・案内標識は、HOスケール用のシールを200%に拡大したものです。「HO」は「O」の半分ですから、何も考えずに2倍にすれば良い理屈でしょう。ただし案内標識はドイツ語圏スイスのものなので、少しスタイルが違ってしまっているかもしれませんが。



レストランの看板は、実写の写真を縮小コピーしたもの。
ブタさんが支えているメニュー黒板のおかげで、かなりレストランっぽくなりました。
「Am Markt 18」(アム・マルクト・アハツェン)は、「市場通り18番地」といった感じですが、インゴルシュタット市内にはこういう住所は無いはずです。

市民フィギュアはプライザー製で、敢えてペイント済み製品そのままの状態で使用しました。ミリタリーモデリングでは、フィギュアの顔や衣服に「陰影」を描き込んで塗装することが流行してしまい、「そうしなければいけない」ような雰囲気がありますが、特に1/43以下のスケールでは、これは考え方次第と思います。
プライザーの市民人形は、かなり彩度の高いペイントがされているのですが、これは鉄道模型などの情景の中に立たせた時の「模型映え」ということを、十分に考慮した上でのことなのです。
これらのフィギュアを、地味な色の服に塗り替え、陰影などを入れてしまったら、風景の中にまぎれて埋没してしまうでしょう。鮮やかなピンク/水色/黄色/赤の衣服などは、建物や車輌にはあまり塗らない色だけに、非常に良いアクセントになるのです。またプライザー製人形のプロポーションや表情は極めて優れているので、ヘタに目鼻を書くよりも、そのままの方がずっと雰囲気があります。例えば、10mも離れた人の目鼻は、はっきりとは見えないですよね。それ同じことで、情景の中にいる人形の目鼻をあまりにもはっきり入れてしまうと、かえって実感をなくしてしまうことがあるのです。模型でも、コレクションでも、あまりひとつの方法論だけにとらわれるのは、やめましょう。

プライザー/フォルマー/ファーラーなどの、ドイツの鉄道模型アクセサリー関係のカタログの写真で見て憧れていたような雰囲気を、ようやく作ることができました。



レストランの名前である「フェンスター・グッカー」というのは、「窓から覗き見する人」というぐらいの感じで、実写の看板にあったものですが(左手のドアの上に貼り付けてあります)、「窓」で苦労した作例としては、全くピッタリなので、これにしました。何しろ塗装をはじめた後で、思い直して窓を切り抜く大工事をしましたので。

ヨーロッパでは窓に花を飾るのが一種の「たしなみ」のようです。
何で読んだのか忘れましたが、アメリカ軍がドイツ/オーストリアに進駐するにあたって、住民がアメリカ軍の「風紀の悪さ」を問題にし、その理由は『窓に花も飾らずに住む』ということについてだったとか。



ドイツにこういう「掲示板」があるかどうかわかりませんけれど、タミヤの「道標セット」のものを切り詰めて使いました。貼ってあるのは、旅行会社のポスターや、ホームセンター/スーパーマッケットのチラシなどです。たぶん欧州の街でこんなことをすると、景観保護条例違反か何かになりそうです。
掲示板右下の「カイザース」というのはスーパーマーケットですが、さしずめ『皇帝百貨堂』というところでしょうか。ドイツにはもはや「皇帝」はいないですから、こういうことも起きるのでしょう。
時代設定は、登場させるミニカーから言って1960年代後半というところですが、これらのチラシは実はかなり新しい時代のものです。チラシに載った商品の通貨単位はたぶんマルクでなくオイロでしょう。

ディオラマでは、こういう「紙もの」で随分と雰囲気が高まります。しかしバーリンデンが発売しているのは、ナチ党のプロパガンダ・ポスターばかり、タミヤの道標セットに入っているのは、占領下フランスでのドイツ軍用の道標ばかりで、何か殺伐とした気持ちになります。丁度『パリは燃えているか?』(早川書房によるリニューアル版)を読んでいるところで、あらためて占領下フランスの苦悩を思い知ったところなのですが、欧州以外の各模型メーカーは、このあたりのデリカシーに欠けているのではないか、と少々気がかりです。せっかくのシトロエンの箱絵もドイツ軍だし。
道標セットに入っている電柱の説明に、「東部戦線のソ連側で見かけるタイプ」といった説明があるのには驚きました。やはり日本の模型界の関心は東部戦線に向いているのでしょうか。(作例では、もちろん「ソ連タイプ」にはなっていません。)

標識は国際標準ですが、各国でビミョーに違うようですね。日本ではスピードの「km」表示は当たり前なので数字だけですが、アメリカ人がやって来て30マイル(つまり48km)出さないように、わざわざ「km」という単位が書かれています。

バスケットはHOスケールのアクセサリーの中で、比較的大型のものをチョィス。
ドイツはじめ欧州でも現在は鉄道模型は「HO」「N」「Z」などが主流で、「O」サイズのアクセサリーなどは滅多に見かけないので仕方がありません。
「O」スケールのアクセサリー探しなら、アメリカの方があるでしょう(1/48ですが)。
ゴミ缶、コカ・コーラ用のアイスボックス、コカ・コーラのビン入りケース等々。実は買ってあるのですが、ホワイトメタル製で、もったいなくてなかなか使えません…。(将来コカ・コーラ屋さんを作る予定です。)

プライザー1/43には、#65326に動物セットがあります。ドイツのeBay上で発見し、猫やニワトリ、アヒル(何故か犬は入っていない)などを使いたかったのですが、送料を含めると相当に高いものにつきそうなので、今回は未入手です。屋根上に猫がいるといいのに。
「タミヤ1/48動物セット」が出ることに期待しましょう。



「Oゲージ」用のアクセサリーを探しに出かけ、やっとプライザーの建物用アクセサリーのセット(建物外側の照明器具・消火器etc.)を見つけました。せっかくなので何か使おうと思い、左上の丸い煙突はそのセットに入っていたものです。おかげで屋根上は煙突ばかり。テレビアンテナを自作してみました。
屋根瓦は、別に1枚ずつ貼り付けてあるわけでも何でもなく、レジン製で一発で抜いてあります。

樹木は、後の大きな木は針金の幹・枝にライケン(鉄道模型用の素材で地衣類(コケ植物のようなもの)を加工・着色してある)を貼り付けてで自作したもの。左下に少しだけ写っているものは、鉄道模型用樹木素材をそのまま使用したものです。


「インゴルシュタット」になった原因はバイクのナンバープレート



ポリスバイクは、シュコー・ピコロの「DKW RT 350 Polizei」。1500個の限定で、警察官フィギュアとのセットでした。「インゴルシュタット」と言えば、バイエルン州・オーバーバイエルン、ミュンヘンから75km、ニュルンベルクから95km、アウディの本社があることで有名ですが、なんで設定が「インゴルシュタット」になったかと言うと、このバイクのナンバーが「IN」だった、というただそれだけの理由なのです。
バイクは当初固定するつもりはなかったのですけれど、バイクと警察官を坂道に何度置いてもころげてしまうので、結局接着することになりました…。プライザーと違って、この警察官は金属製です。ハンドペイントで目鼻が描いてありましたが、プライザー・フィギュアとあまりにトーンが違ってしまうので、顔を肌色で塗らせてもらいました。

左手の柵の内側で赤い花をつけている潅木は、「Jordan」というメーカーの鉄道模型用樹木です。
バラでしょうか。ドイツの街には、バラが良く似合います。ベンチに座っている若いおかあさんが、赤ちゃんを抱いているのにお気づきでしょうか。
この画像に写っているVW-T1-KTWはメルクリンです。


1/43救急隊員とストレッチャー



ストレッチャーは、メルセデスTyp 170V-170D救急車の実車カタログ写真を参考にして製作(100Jahre Sanitaets-und Krankenfahrzuege, Udo Paulitz, Kosmos 2003, p68-69)。ただし1950年代のものです。白黒写真のために色がわからず、やむなく白とグリーンに塗り分けました。アクセントを付けるために、赤のボトムを着たフィギュアを患者さんに選定してあります。

BRK(バイエルン赤十字)隊員とドクターは、プライザー1/43フィギュアからの改造です。プライザーには1/50のフィギュアもありますが、ここは1/48という建物のスケールにではなく、主題であるミニカーのスケールに合わせることにしました。水色上下の看護師ふうの人物はプライザー製の無改造です。

しかしドイツ兵のユニフォームに関する資料はあんなにあるのに、戦後のDRK-BRKのユニフォームの体系的資料は結局発見できません。(ヒトラー政権下のものならあるのですが。)
フォーマルな制服と、作業衣的なものがあるらしく、地域のフェアバントによっても異なっている可能性はありますが、概ね確認できる範囲で作りました。帽子や上衣などは、意外にドイツ国防軍・連邦軍のものに似た雰囲気を持っています。

ウクライナ製ハンドメイド救急車をご紹介した時に、『側面に何かマーキングを入れたい』と書いたのですが、どうやらその機会がやって来たようで、メルセデスL407の側面に、「インゴルシュタット赤十字協会・3号車」の表示を入れました(実車写真で確認した表記法ではありません)。透明フィルムのシートにパソコン印字したもので、簡単に剥がすことができます。





救急隊出場報告書

1969年8月15日14時32分、アム・マルクト救急業務地区センター代表番号に救急隊出場要請を覚知した。

救急業務地区センター指令係・ヴェルナー・ニックスによる情報聴取内容は以下の通り:

インゴルシュタット市内・市場通り(アム・マルクト)18番、レストラン「フェンスター・グッカー」の休業中の店内にて、同店従業員のヨハンナ・フィッシャーが、天井から吊り下げられた照明器具を清掃中に、脚立から誤って足を踏み外して落下。
受傷者は出血・意識の混濁等は見られないものの、歩行が困難で骨折の可能性あり、本日は聖母マリア被昇天祭の祝日で、アム・マルクト地区周辺の医院が全て休診しているため、受診可能な施設への搬送を要請する。(通報者・同所・ヒルデカルト・クレッペン)



地域事務所長・ギュンター・レールは、14時35分救急業務グループの当直医であったオットー・フォーゲル医師(整形外科)に救急医師派遣を要請。これに伴いBRKインゴルシュタット第3課にて出場隊を編成、医師搬送車(機関員エルヴィン・コンラート)を出場させた。
センター指令係は通報者からの情報聴取を継続するとともに、医師到着まで、受傷者を安静に保つように口頭指導を行った。

14時47分現場に到着したフォーゲル医師(看護師アナベラ・ヴァルトナー同行)の観察および診察により、ヨハンナ・フィッシャーは右脛骨下部骨折と見られるが、腫脹は見られるものの、出血・変形・軋轢音等も無く、緊急に固定の必要のない程度の状態。意識・呼吸等にも異常なく、麻痺/ショック/他の部位の打撲や内蔵損傷等の疑いもないと診断された。



ただし骨折部位に限局性圧痛を訴え、自力歩行が困難であることと、骨X線検査のためフォーゲル医師の診療所に搬送することとなり、患者搬送車(インゴルシュタット3号、本職・有資格救命救急士ヘルムート・マイヤーおよび機関員エルンスト・ブレッセンスドルフ同乗)を出場させた。フォーゲル医師より、念のため車内収容後も、メインストレッチャーに患者下肢をベルトで固定して搬送するようにとの指示を受ける。

15時05分患者搬送を終了しフォーゲル診療所より引き上げ、15時22分帰署した。

                              1969年8月15日
                              バイエルン赤十字・インゴルシュタット赤十字協会
                              (BRK・クライスフェアバント・インゴルシュタット)
                              アム・マルクト救急業務地区(第3課)救助隊員 

                              有資格救命救急士 ヘルムート・マイヤー記述



※この報告書はフィクションであり、登場する人物名などは架空のものです…。


     




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