「テクノの消防車・救急車への関心は、やはりVW-T1の救急車、消防車への関心が発端でした。 その後、テクノは消防・救急のモデルに当初から熱心だったことに気づき、コレクションのまとまった集合を形成できるのではないかと考えて、1960・50・40年代のモデルに、次第に関心が拡大していきました。 いずれも古い年代のモデルであるため、バリエーションを追求するというわけにはいきませんが、テクノ社の歴史の流れを追いつつ、これらのモデルをご紹介してみたいと思います。 テクノのミニチュア・モデルとしては、多くの方が1950年代〜60年代のテクノ円熟期のモデルを想起されるでしょう。 しかし、これらのモデルが生み出されるには、その「前史」があるのです。 テクノは1940年代の後半には既にダイキャスト製のクルマのモデルを作っており、その中には消防車・救急車のモデルも含まれます。しかしテクノ社のマインドを理解するには、それでもまだ不十分で、さらにそれ以前の背景を見る必要があるように思われました。 1960年代に絶頂期を迎えたヨーロッパのダイキャスト・ミニカーの量産メーカーは、いきなり「ダイキャスト」という素材でのミニチュアづくりに参入したように思われますが、実はそうではありませんでした。プラスチックや、ティンプレート(ブリキ)によるミニチュアや玩具づくりから、ダイキャストに転じた会社が多いことはご存知の通りです。 しかし今回テクノ社の歴史を調べていて、「ティンプレート」による玩具製作の、その基盤となった「背景」があることにも気づきました。 テクノ社の創業は、1928年9月1日に遡ります。 創業者は「Andreas Siegumfeldt」、配管工を職業とし、その分野で自分の会社を経営していました。 テクノ社の創業にあたって、シーグムフェルトは配管工事の自分の会社を売却し、玩具製造・販売に集中しようとしたのです。 創業地は、コペンハーゲンの近くの「Vanlose」という街の建物の地下室でした。 社名は『Tekno Dansk Legetoejs Industri』でした。英語に置き換えると、『Tekno Danish Play Toy Industry』です。 下のロゴでは「Tekno」の下に「Dansk Legetoey」の文字が書かれています。「o」の中に斜線の入った文字は「o」と「e」が合わさった母音で単独では「エゥ」、「toej」で「トイ」です。 1932年創業の有名な「レゴ」社の社名も、「leg godt」(play well)というコンセプトからつくられています。 ※このあとも、デンマーク語についてはカタカナに置き換えることができないため、アルファベットつづりのままで表記することをご容赦ください
「配管工」というと、玩具製作とは何の関係もないように感じますが、現在のように樹脂製のパイプなど無かった時代のことです。「金属加工」という技術が、玩具製作との接点になっていることを示唆します。 デンマーク語は発音できないので、「Andreas Siegumfeldt」は仮に「アンドレアス・シーグムフェルト」と読んでおきます。語尾の「dt」は濁らず、また「Sieg」の母音の前の語頭の「s」がドイツ語のように濁ることもないようです。 さて、当時のテクノ社の製品は、「金属製の組み立てキット」でした。「自動車モデルの組み立てキット」ではありません。様々な形やサイズの、小さな穴がたくさん開いた金属板を組み合わせながら、ビスとナットで固定して、クレーンや、建設機械や、自動車のカタチにしていくキットです。 これを『Tekno-Metal Construction kit』 『Tekno Engineering kit』と言いました。 製品シリーズのスローガン(英訳)は『Begin as Tekno Boy and then end as an engineer in the world format』、つまりこのメタル製の組み立てキットに子供の頃から挑戦することで、「テクノ・ボーイ」たちを育て、やがて彼らが国際的なエンジニアに育つことに貢献する、ということです。「テクノ」という社名の原点がここにあります。 ただし、「シート・メタルによる組み立てキット」という発想は、テクノ〜シーグムフェルトのオリジナルではありません。イギリス・リバプールのエンジニアだったフランク・ホーンビー(Frank Hornby)が、15ピースから成る金属製組み立てキットの特許を1901年に取得していました。 穴の開いたティンプレート(ブリキ板)をビスとナットで組み立てる形式のものです。この製品のキャッチフレーズは『Mechanics Made Easy』で、1907年にここから造語した『Meccano』になりました。つまり後の「メカノ・ディンキー」です。「メカノ」と「テクノ」の戦いは既に始まっていたわけです。
したがってテクノ創業当時、既に各国のメーカーでは、こうした金属製組み立てキットが作られてしました。ドイツの「メルクリン」、オランダの「TemSi」、アメリカの「Erector」、オーストラリアの「Ezybilt」などです。当時としては、非常にハイテク感があり、「知育玩具」として認められたものだったのでしょう。 下の画像はオランダの「TemSi」社のものです。
デンマークでは、ドイツから多くの玩具が輸入されており、シーグムフェルトの競争市場への参入に対して周囲は懐疑的でしたが、こうした予想に反して、テクノ社は成功をおさめて行きます。 テクノ社の製品は、従来の他社製品に対して4倍のビスどめ用の穴を持っており、また素材にも堅牢なものが使われて、最終的な仕上がりと品質が優れていました。 こうした「金属製組み立てキット」とはどんなものか、いくつかの写真を引用することにします。 その後ダイキャスト製ミニカーの生産に参入していったヨーロッパのメーカーが、どういった出自や技術的な背景を持っていたかを、ぜひ日本でも紹介したいと考えるためです。 現物を入手しようとして手に入るようなものではありませんので、引用した画像を掲げることにしました。この中には、コペンハーゲンの、デンマーク王立図書館のサイト上に収録されている画像を含みます。 |
創業5年後の1933年の展示会では、10種類の異なる内容のセットが出展されました。1つのキットでひとつの完成品だけが得られるのではなく、色々なモノが組み立てられるのです。さらにこれらは、別売りの追加パーツを購入することで、さらにアレンジの幅が広がりました。テクノ社は、45種類の完成例を掲載した「モデル・ブック」も用意しました。この形式のキットは、このあと約40年間も生産されることになります。 成長する会社は、いくつかの事業アイデアを平行して持っているものです。シーグムフェルトは、玩具店のショーウインドゥに並ぶ商品の品質に失望していました。彼は作業場に戻り、配管工としてのブリキ板の加工技術を活かして、ブリキのトイ・カーを作りました。これが後に、ブリキ製の「ファルク/ゾーネン」の消防・救急車輛のシリーズのもとになります。 1928年の創業時には、ティンプレートによる自動車玩具はドイツ製のものが主流でしたが、発売後わずか2年の1930年には、テクノ社のティンプレート自動車の商品ラインは、デンマークの産業協議会から最高賞を授与されるに至りました。 1932年、テクノ社の主軸商品は、金属製組み立てキットからティンプレート自動車に移り、そのため工場をTranevejに移しました。 スタッフは20人以上に増え、1935年にはさらに工場を移転しました。 コペンハーゲンの「Rentemestervej 47 in Norrebro」にある、全く新しい工場施設で、4つのフロアにわたり総面積600平方メートル、この時期のスタッフは60人となりました。 国外からの玩具の輸入量はますます少なくなり、1938年には完全に停止しました。したがってデンマーク国内での玩具の生産の需要が非常に増大していたのです。 この状態で第2次世界大戦を迎えることになります。 デンマークは1939年にドイツとの間に不可侵条約を締結していましたが、1940年4月9日に開始されたドイツ軍の「ヴェーザー演習作戦」により、戦車や空挺部隊を用いた電撃的な侵攻を受け、デンマーク政府は降伏しました。ドイツとは同じゲルマン民族であり、わずかな例外を除きほとんど無血占領だったことから、ヒトラーはデンマーク政府の存続を認め、デンマーク王もドイツ占領下のコペンハーゲンに留まりました。 トイ・カーの素材になっている「ティンプレート」とは、「ブリキ板」のことです。鉄板をスズで被覆したものを「ブリキ」と言い、亜鉛で被覆したものを「トタン」と言います。いずれも錆びやすい鋼板を被覆することで、大量消費を可能にしました。 しかし「スズ」は軍需物資です。合金として機械や車輛の軸受けなどに使われる「砲金」となるほか、ハンダ、またブリキそのままで缶詰などにも使われます。 そのためドイツ占領軍は、1940年5月にはデンマークの生産事業者による「スズ」の使用を禁止してしまいます。したがってブリキ製トイ・カーの生産は致命的な打撃を受け、最終的には全ての生産を停止せざるを得ませんでした。この時点で、ドイツ国内のメーカーに対しては、同じレベルでの厳しい規制は行われなかったようです。 テクノ社は、やむなく様々な木製玩具の新しいラインを立ち上げました。 ところがブリキ板の供給がストップした一方で、「亜鉛」はこの種の規制の対象外になっていました。 亜鉛は、合金の鋳造によって玩具生産に使うことができます。その最初の製品は航空機のミニチュアでした。テクノが「亜鉛ダイキャスト」に入っていくきっかけが、こんなところにあったのです。 最初に入手した図面はB-17フライング・フォートレスで、製品化されて店頭に並びましたが、翼にはイギリスの国籍マークが付いていました。 シーグムフェルトは、ドイツ占領下のデンマークで、連合軍の航空機モデルを生産することの「不都合」を予感していましたが、案の定、ある日ゲシュタポがやって来て、シーグムフェルトは16日間、「Vestre」の拘置施設に収容されました。小さな飛行機の玩具であっても、連合国を支援するような精神の波及を許容するほど、第三帝国は寛容ではないのです。 シーグムフェルトは、反ドイツの抵抗勢力につながるような背景は持っていないと判断され、以後「英国の航空機モデルは作らない」という書面に署名させられて釈放されました。 下の画像で、上段・下段ともに中央にある四発機がB-17です。 ドクター・エドワード・フォースの著書の中に掲載されているもので、彼自身のコレクションと思われますが、巻末リストでは「1940年代」となっており、ドイツ占領下で生産されたものか、戦後に再生産されたものかは不明です。 ただ、イギリスの国籍マークを付けた姿を偲ぶことはできます。
航空機モデルの生産は止められ、ティンプレート製自動車の生産停止を補うために、亜鉛鋳造製の自動車モデルの生産を準備する必要がありました。(それでもドイツの飛行機のモデルを作ろうとはしないところが、大したものです。) しかしこの時点で亜鉛ダイキャストの自動車モデルを作るために必要な専門知識と経験を持つ人は少数でした。テクノ社はそのための人材、金型、工具、機械を用意する必要があったのです。 |
ここで、テクノのモデルに書かれている「Falck」(ファルク)について、ふれておきましょう。 この「Falck」や「Falck Zonen」には以前から気が付いていましたが、デンマーク語で「消防」の意味ぐらいだろう、と考えていました。 「Falck」には、「消防」という意味はなく、鳥の「はやぶさ」の意味で、民間の消防・救助会社の名前です。 欧米では民間の患者搬送会社(アンビュランス・サービス)は珍らしくありませんが、ファルクはそれらとはケタ違いの規模を持っており、デンマークでは公設の消防隊が置かれているのはコペンハーゲンなど限られた都市だけで、そのほかの国土の70%の地域の消防業務をファルク社が担当しているのです。 現在ではデンマークのほか、ノルウェー、スウェーデン、ポーランド、エストニアを主要活動地域とし、その他計46か国に35,000人の従業員を擁しています。 1963年に「Zonen」(Zone-Redningskorpset)を経営統合し、消防・救急部門を統合的に持つ組織となりました。現在の業務領域は、以下の4つです。 -エマージェンシー・レスキュー(Redning) 消防業務(brandtjeneste)、救命救急業務(ambulancekorsel) -アシスタンス(Assistance) ロード・アシスタンス・サービスです。テクノのモデルで、レッカー(タウ・トラック)のモデルがたくさん作られています。 また「アシスタンス」業務の一環として、動物の保護や、動物へのアンビュランス・サービスを行います。テクノの古いモデルの中にも、動物用の救急搬送トレーラーがあります。 これは、デンマークにとって酪農が重要な産業であることと関係しています。 -ヘルスケア(Healthcare) 新しい分野で、救命救急業務から発展して、より幅広い心身の医療や保健衛生のプロバイダとしての業務を展開しています。 -トレーニング(Traening) 26のトレーニングセンターを持ち、救助、セキュリティ確保に関する研修業務を実施しています。 海難事故、航空機事故、石油掘削などの分野での専門的なトレーニングも用意されています。 ファルクは、1906年にソーファス・ファルク(Sophus Falck)によって設立されました。 1884年にコペンハーゲンのクリスチャンスボー城が焼失する火災があった時、19歳のソーファスは、ボランティアとして救助活動に参加していました。 当時は、火災現場で消化・救助などを統合的に指揮統括する機能が不十分で、消火は難航し、絵画や家具調度品など、多くの貴重な文化財が失われました。ソーファスは消火・救助活動における体系的な組織の欠如に大きな印象を受け、これが後の「ファルク」設立の理由のひとつになっていきます。 ソーファスは1906年10月3日に、最初の「ファルク・ステーション」を開設。 ソーファスはふたつの理念を掲げました。 -人、動物、または貴重品が危険にさらされているときは、いつでも支援する。 -緊急事態が発生したときは、可能な限り迅速に、損害の程度を防止し最小限に抑えるよう努める。 迅速な援助は、常に2倍の効果がある。 1956年には、ファルクはデンマークに100箇所の部隊を展開していました。 「redningskorps」は、類推できるように「rescue corps」(英)、「Rettungskorps」(独)の意味です。 上の画像の車輌はレッカー車なので、救急業務だけではなく、ロード・アシスタンスの意味でも使っているようです。 「corps」(部隊・兵団)は、「corpus」(死体)と音が似ることを嫌って「コープス」ではなく「コーア」と読みます。 ドイツ語でも「Korps」は「Korpus」との混同を嫌って、「コーア」と読みます。 タミヤのドイツ・アフリカ軍団のフィギュアセットが当初「アプリカ・コープス」と書き、後に「アフリカ・コーア」に訂正されたのはご存知の通りです。 デンマークでも死体は「Corpse」なのて゜、たぶん状況は同じだと思われます。 |
さて、以上を「予備的知識」としていただいた上で、 戦前から、戦後しばらく生産された、テクノ製のティンプレート製消防車輌のシリーズについてご紹介しましょう。 通常、この時代のモデルは入手を諦めるのですが、生産数が比較的多かったのか、現在でもある程度の数が流通していて、入手の機会に恵まれたものです。 戦前(初期)のものは塗色の赤が暗く、ホイルもブリキをプレスしたもの、戦後になると塗色はオレンジに近い明るい赤になり、ゴムタイヤを履いている、と資料には記述されています。 テクノ社初期の「金属製組み立てキット」を連想させる、キット形式で販売されたものもあります。ただし全パーツがバラバラになっているわけではなく、ある程度のブロックに組み立てられたものを、組み合わせる形式です。 キット状態で未組立で残っているものは数も少ないと考えられ、したがっておしなべて高価でしょうから、これは入手しようと思わない方が無難です。一方、完成品として箱に入れられて売られたものがあます。 下が、キットで販売された製品パッケージと、セットの状態です。 入手できるアテも、つもりもないので、写真を引用させてもらいます。 車種は「はしご」を載せた消防車、車体は大きく5ブロックぐらいに分割されており、「FALCK」のデカールも既に貼ってあります。ホースリールには、黄色い「生ゴム」色のホース、そして現存多くの個体で失われているドライバー人形、旗、吸管も付いていたのですね。まさに「幻の完品」の状態です。 パッケージのイラストレーションは各車に共通で、箱前面左下の四角いブランクの中に、消防車であれば「Brandvogn」とスタンプまたは印刷される形式でした。箱の下に「Tekno Dansk Legetoejs Industri」の社名と「コペンハーゲン」の文字が見えます。 基本となるのは「作業車」(Working Truck)で、これは荷台を持ったトラックです。 これに「はしご」とホースリールを積んだ「消防車」、「斧運搬車」、「クレーン・トラック」「サーチライト・トラック」、木炭ガス発生装置を付けた「フラット・ベッド・トラック」、「救急車」、「アニマル・アンビュランス」と称する、牛馬を搬送するためのトレーラーがありました。 このシリーズ、意外に資料が少ないのです。「テクノ」というと、1950年代のダイキャスト・モデルから語り始められることが多いからでしょうか。あるいは、このシリーズは「ティンプレート」モデルですから、ダイキャストのコレクターからは、そもそもコレクション対象として除外されているということもあるのでしょう。 その中で、イギリスの「Model Collector」誌、1991年4月号が、4ページを割いて、ミニ特集的な扱いをしています。 私の入手できていない、木炭ガス発生装置をつけたフラット・ベッド・トラック、キット形式で販売された製品のパッケージ、完成品状態で売られたもののパッケージ、白の救急車、消防車のはしごが黄色のタイプ、附属していたドライバー・フィギュア、「FALCK」の木製ガレージ(ステーション)などがご覧になれるでしょう。 各モデルの品番は、この資料を参考としました。 この雑誌を見ていると、欧州でのトイ・コレクションの「底のない奥深さ」を実感させられます。
1995年発行のデンマークの切手、「デンマークのおもちゃ」(Dansk legetoej)のシリーズで、テクノ社のティンプレート消防車輌が取り上げられています。 「はしご」を載せた消防車、救急車、サーチライト車の3点が1枚の切手におさめられています。 下はシリーズ4種を貼った初日カバーと、テクノのモデルだけの10枚シートのブックレットです。 世界中に消防車の切手というのは結構ありますが、実車をモチーフにしたものが多く、消防車モデルを取り上げたものはあまりありません。 デンマークという国が、自国の歴史の中で「おもちゃ産業」を、いかに誇りにしているか、そしてその中にテクノ社のモデルが入っていることがわかって、見ている方も嬉しくなってきます。 デンマークは「ユーロ」の導入を国民投票で否決し、現在でも「デンマーク・クローネ」を通貨にしています。 ところで、テクノ社も1950年代になると製品をダイキャストにシフトします。ですからこれらのティンプレート・モデルは、戦後になっていても1940年代製です。なにぶん古いモデルですから、完璧なコンディションを求めることにはムリがあります。「組み立て式」というコンセプトのため、スペアタイヤなど、パーツが失われている個体も多いのです。 状態の良いもの、箱の残っているものに高いお金を払って集めようとせず、値段重視で「買えるものを買う」という方針で臨みました。結果として、ミクロペットなどの国産初期モデルなどに比べれば、はるかに安い価格で入手しています。 (もっともミクロペットが高すぎるのですが。) ティンプレートに限らず、テクノ製モデルがリーズナブルな価格で出て来るのは、やはりデンマークと、オランダです。ドイツとイギリスがその次ぐらいでしょうか。アメリカやフランスに渡ったものは、その時点からコレクターの収集品として保存されたものであり、状態の良いものが残っている反面で高い価格になる可能性が大きいです。 多少の部品欠落や、大いなる塗装剥げがあっても、デンマークで子供が遊んだ、そこそこの状態のものが出て来れば、想定以上に安く手に入る、ということがあります。 欧州製の古いモデルの日本国内での流通価格には驚くほど高いものがあるので、私がそういう高い価格でモデルを入手しているとは、思っていただきたくありません。また海外のネットオークションに、日本から出品されている1/64サイズのモデルなどの価格もびっくりするほど高価です。価格設定そのもので稀少性や品質感をアピールし、値崩れを防ごうとしているのでしょうか。 私がワールどワイドのネットオークションが好きなのは、価格(バリュー)の決定権は、購入者が握っている、ということです。出品者が価格設定しても割高だと思ったら買わない、価格が上がるのは、それだけそのバリューを認め、入手したいと思う人が多いということですから、極めてフェアな市場原理が貫徹していると思うからです。 状態が良くなければ、価格はあまり上がりませんし、それでも珍しいものであれば価格は上がります。 「どこそこのブランドだから」総じて高価なわけではありません。 それと、お目当てのものを見つけても、すぐに飛びつかず、同じものがもっと安く出ていないか、探してみることです。 1/43の現行品が7000円ぐらいする時代ですから、私がテクノに払っているお金は、決して高くないと思います。それから、金型開発費の上昇なのでしょうが、プラモデルが高くなりましたね…。 もうひとつ、ネットオークションでのアメリカからの購入では、最近は送料が割高になっているのを感じます。 「Global Shippibg Proglam」というものがあり、要するに出品者は落札者に直接送らずに、米国内の国際配送業者のところに送るのですね。それで配送業者が海外(日本)に送るのです。これが柔軟性がなく、かなりの送料を要求されます。2個口で、同梱してもらえると思ったら不可で、2つ分の送料を払ったこともありました。「アメリカ・ファースト」の典型で、海外の顧客にとっての利便性や割安感ではなくて、アメリカ人出品者の利便性や、紛失・事故リスクの回避などを優先しているとしか思えません。 これに対して、デンマークやオランダの人は、小さな箱にていねいに包んで、「小型包装物」で送ってくれます。ドイツも、「Deutsche Postbrief」(ドイチェ・ポストブリーフ)という郵便種別で、割安で送ってくれます。もちろんアメリカにも親切な人はたくさんいるので、単に私は発送方法や送料確定の「仕組み」のことを言っています。とは言え、最近はアメリカからの購入が以前より減っています。 デンマークやオランダからの購入にあたって、デンマーク語やオランダ語の読み書きの必要はありません(それは、そもそもムリというものです)。だいたい彼らは商品説明を含めて英語で書いているので、英語でコミュニケーションできます。また最近はeBayも、日本に送ってくれるかどうか、送料はいくらか、決済手段が適切かを確認して、入札し、決済すれば、特にそれ以上のコミュニケーションが必要になる場面はありません。ドイツ語やフランス語のサイトでもログインしてウォッチ・リストに登録すれば、英語サイトから閲覧・入札・決済できます(IDやパスワードは共通化されています。少なくとも米・英・独・仏は同じです)。一貫して日本語で購入したければ、「セカイモン」を利用するという方法もあります。 前置きが長くなりましたが、モデル紹介に移りましょう。 |
作業車(Working Truck/Arbejdsvogn) このシリーズのベースになっているトラックの基本形です。 初めに見た時には、消防車の上部構造や艤装が全て失われてしまった個体かと思って恐れをなしましたが、そうではなく、通常の荷台だけのトラックなのです。 デンマーク語の「Arbejdsvogn」は、ドイツ語の「Arbeitwagen」(アルバイト・ヴァーゲン)から類推できて面白いです。ドイツ語の「Wagen」も、耳で聞くと「ヴァーグン」に聞こえるんです。 これ以降の全てのモデルに共通することですが、上述のように基本は戦前製のものは濃い赤にティンプレートのプレスのホイルを付けています。ドイツ占領軍によるブリキ板供給停止の解除後、つまり戦後の生産分は車体の塗色がオレンジ味のある朱赤になります。 しかし、戦前=濃赤・プレスホィール、戦後=朱赤・ゴムタイヤ、と単純に線引きはできないようで、朱赤車体にプレスそホィールを付けたものなどもあり、戦前・戦後の断定はなかなかむずかしいように思います。 私の入手した個体では、ヘッドライトとフロントのナンバープレートが失われていて、ヘッドライトはエポキシパテで、ナンバープレートはプラキット用のエッチング板の余り部分で作って修復しました。 黄色い旗は、このシリーズの全てのモデルに付いているもので、デンマーク語の「udrykning」は「緊急」(emergency)の意味です。青色・赤色の警光灯の無い時代に、旗で代用をしていたんですね。 この旗は失わなわれているモデルが多く、私の入手したものも当然付いていませんでしたので、1台だけ残っていたものを参考にして、プラキット用のエッチング板の残りと金属シャフトを使って複製したものです。 旗のオリジナルを入手する前は、写真からでは文字が何と書いてあるのかわからず、難儀しました。 ステアリング・ホイルを回すと、前輪がステアするギミックを持っています。これはこのシリーズに共通するものですが、戦前の設計であることを考えると驚きで、まさにメカニック「テクノ」の面目躍如というところです。 #311・Working Truck/Arbejdsvogn -朱赤または濃赤・ティンプレートホイル -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ、「Falck」 -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ、「Zonen」 この「作業車」に関しては、組み立てキットは売られなかったようです。 |
斧運搬車(Axe Truck/Oeksevogn) 「斧運搬車」(デンマーク語で「Oeksevogn」)というのは何だろう、と最初は考え込みました。 これも当初は、消防車の「はしご」やホースリールが失われた状態の個体なのではないか、とも思いました。 しかし資料を見ていくにつけ、ベースとなるトラック・ボディの荷台に簡易なキャビネットを載せ、両サイドに「斧」を装備させたモデルであることがわかりました。悪いことに、この「斧」が失われてしまった個体が多いため、よけいに何のクルマだかわからなくなるのです。 古い時代には「破壊消防」(破壊消火)という考え方があり、延焼を防ぐためには対象となりそうな可燃性の建物や構築物を破壊する、ということが一般的でした。日本の江戸の「火消し」がその典型です。 ですから、「斧」をはじめとする破壊消防や、消防隊の進入する突破口を開くための器材等を搬送するための車両、と解釈しています。 ただヨーロッパの建物は基本的に石造りですから、斧や刺又(さすまた)で簡単に壊れるようなものでもなく、またデカールのバリエーションには「Zonen」のものが含まれているので、落下物などを排除して要救助者を助ける、現在でいう「救助車」の役割と考える方がいいのかもしれません。 フロントの旗は、オリジナルを入手する前に作っていたので少し小さく、後にひと回り大きくしました。旗竿のところで段差があるのがご覧になれるでしょう。さすがに、写真からではサイズがわからないのです。 この個体では、スペアタイヤと「斧」が失われていたので修復しています。 スペアタイヤは、タイヤを車軸からはずして「型おもい」という、お湯で煮ると柔らかくなる樹脂で型取りし、それにエポキシパテを押し込んで複製したものです。 シリコンの型取り材や、注型用のレジンも使ったことがありますが、使用期限までに使い切れずに大量に残ってしまう(期限を超えると、精度が落ちてしまいます)ことや、量産するならともかく、スペアタイヤ1個作るのに大変な騒ぎになることを嫌い、最近はこのエポパテを押し込む方法で誤魔化しています。少しぐらいの気泡は、瞬間接着剤を入れて固めます。何よりも簡便で、作業の合間に1個だけでも複製することができ、6時間ぐらいで硬化してくれます。 斧は、プラ板から切り出したもので、少し錆っぽく塗ってあります。 このサイトを見た海外の人は、旗や斧の揃った、状態の良いものを入手していると思うでしょうが、実はそうではないのです…。 先述のように、作業車、木炭ガス発生装置付きトラック、動物救護トレーラー以外のモデルでは、「組み立てキット」版が用意されていました。 この「キット」は、まさにテクノ創業当時からの「金属製組み立てキット」の流れを継承するものと言えるでしょう。そしてこの伝統は、60年代製のマスタング、メルセデスなどが「分解・組み立て可能」のギミックを持っていたことにも受け継がれていたのです。 #322・Axe Truck/Oeksevogn -朱赤または濃赤・ティンプレートホイル、「Falck」 -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ、「Falck」 -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ、「Zonen」 #323・組み立てキット |
レッカー車(Breakdown Truck/Kranvogn) トラック荷台にクレーンを付けてレッカー車としたものです。 テクノのファルク・モデルには、1950・60年代にもレッカー車がたくさん登場しますが、ファルクがロード・サービスを業務としている、ということを知って納得しました。 この個体は比較的良い状態で入手できたもので、「旗」以外にはリペアをしていません。クレーンが残っていないと、修復すると言っても構造がわからないからです。 旗は、これもオリジナル入手前に作って、その後大きくしたものです。 ホイルは、ゴムタイヤでなく、ティンをプレスしたものを付けています。 この点だけを見れば「戦前製」のはずなのですが、ボディ色は朱赤になっており、戦前・戦後の特徴を混在させています。 ただ、ヘッドライトのレンズ面に黄色い板を入れており、生産時期としては他のものより古いのかもしれません。 左が黄色いレンズ面の無いタイプ、右があるタイプです。単にあり/なし、というよりそもそも部品の形状が違うようです。 ナンバープレートは、このシリーズの全てのモデルで「K.673」になっており、その理由はわからないのだそうです。 「K」は「コペンハーゲン」でしょうか。 #331・Breakdown Truck/Kranvogn -朱赤または濃赤・ティンプレートホイル、「Falck」 -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ、「Falck」 -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ、「Zonen」 #330・組み立てキット |
サーチライト車(Searchlight Truck/Projectoervogn) 荷台の上面をふさぎ、サーチライトを積んだ車両。「照明車」です。 テクノは、レッカー車同様、この後ダイキャストの時代になっても、「サーチライト・トラック」を作っています。 この車両でサーチライトが失われていては仕方がないので、結果的に状態のいい個体を入手することになりました。 フロントの「黄旗」は、はじめてオリジナルで手に入れたものです。 想像していたよりより旗竿が長く、竿部分まで黄色に塗られており、黄色にも赤味がありました。もっともバリエーションがあるかもしれませんが。文字はスタンプのような方法で印字しているようです。 サーチライト部分は、回転に加えて仰角を付けることができ、メカニカルです。 驚くべきことに電池で点灯します。ドイツ占領軍は、テクノ社の技術水準に嫉妬したのかもしれないですね。 サーチライトの付いたユニットがそのままはずせるようになっています。他の部分は(+)(−)のビスですが、ここだけは手で回すことができるようになっています。 裏側に電池用の接点があります。下の画像で、右手のネジを手で回すと、電池の底面に接触すると点灯するようになっている、シンプルな仕組みです。サーチライト(電球ソケット)から、このネジに至るリード線が失われていることになります。 修理すれば、点灯するようにもできるでしょうが、この際、それよりも約70年前のリード線を保存しておきたいと思います。 サーチライトのユニットをはずしてしまうと、基本車型である「作業車」(下の画像の右)と同じ状態になります。 リアのネジ穴の大きさが若干違っています。 このシリーズは、全てのモデルでフェンダー〜車台が赤のものと、黒のものがあるようですが、黒フェンダーの方が、モデルとして引き締まって見えますね。デンマークには、この両方を揃えるようなコレクターもいるようです。 361・Searchlight Truck/Projectoervogn -朱赤または濃赤・ティンプレートホイル、「Falck」 -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ、「Falck」 -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ、「Zonen」 #360・組み立てキット |
消防車(Fire Engine/Brandsprojte/Brandvogn) 通常の「消防車」です。 デンマーク語で「火」「火災」(英語のfire)のことを「Brand」と言います。 現在我々が「ブランドもの」と言う時の「ブランド」は、「焼印」という意味を起源としています。 牛に自分の所有であることを示す同じマークの焼印を押したことから発生した意味なのですが、焼印をデンマーク語で「Branding」と言います。英語でも同じです。「火で熱して焼き付ける」ということで、語源は同じと考えられます。これも「酪農王国デンマーク」起源ということを実感させられます。 シリーズ中、最も複雑な構造と装備品を持つモデルです。 入手した個体では、ラジエーターグリル、ホースリール3個、二つある「はしご」のうちのひとつ、黄旗が失われていました。 ホイルはティン製のプレス・タイプですが、スペアタイヤには種類の違うゴム製のものを付けていたため、これもプレス・タイプの型をとって複製したものに交換しました。ゴム・タイヤの方は、「作業車」のスペアタイヤに回っています。 ラジエータグリルは同シリーズの別のモデルを型取りして、エポパテで再生。 ホースリールはプラ板と外径10mmのアクリルパイプ、はしごはプラ板です。アルミなど金属板を使うことも考えましたが、平面のままでキレイにカットする自信がなく、プラ板で誤魔化してあります。 スライド式二連はしごであれば、延伸部は少し小さくなるわけですが、このモデルでは同じ大きさのはしごを2つ載せているようで、そのように複製しました。 ラジエータ・グリルの前、バンパー上に、ビスや金属塊でできたポンプを載せていたのですが、明らかにこれは後から加えられたもので、テクノ製のアフターパーツである可能性も残しつつ、とりあえずはずしてあります。 入手した時には、車体後部側面に「FALCK」とプリントされた大きなアルミシールが貼られていて、非常に違和感がありました。どう考えても1940年代のものではないのですね。それで意を決して、それを剥がしました。下には黄色の合成ゴム系接着剤がありました。昭和40年頃には、既に日本で合成ゴム系の接着剤がありましたが、1940年代では怪しいですね。今の目でみれば、オークション出品の画像の状態で「不審」に気付くのですが、シリーズ中で救急車の次に二番目入手したものであったため、基礎知識がありませんでした。「はしご」が残っている個体を買ったはずなのに、結局オリジナルには一番遠い状態だったのです。 車体には何となく刷毛ムラがあって、保護のためにクリアラッカーかエナメルでも塗ったのかと思っていましたが、何と、もとは朱赤ボディであったものを濃赤に塗り直してありました。車体の中の方は朱赤なのです。 「戦前製のモデルは濃い赤、ティンプレートのホイル、ヘッドライトに黄色の色差しがある」とした資料がありますから、戦前モデルに見せかけようとした疑いがあります。 別に私はこれを戦前製だと思って買ったわけではなく、かつそれほど高いお金を払ってもいないので、別に何ということもないのですが、こういうことはヤメましょうね。欠損した部分のリペアなどをするにしても、オリジナルの状態の復元にとどめたいものです。わざわざ稀少なバリエーションを「偽装」する、というのはよろしくありません。 どうしようかと考えましたが、水性塗料で朱赤を作り、全体に軽く吹き直しました。ピカピカ光り過ぎないように若干のツヤ消し剤を入れたのですが、かえってツヤが落ちすぎてしまいました。 「FALCK」の文字は、薄く残っているオリジナルのサイズと書体を参考にしつつ、パソコンで透明フィルムのラベルに出力したものを貼りました。オリジナルのデカールの上から濃赤を塗ったために消えてしまい、アルミシールをその上に貼りつけてあった、というわけです。 問題はホースの再現で、古くは紙製の「こより」、後にはゴムパイプが使われていたようですが、ゴムというのは経年で劣化が激しく、最終的には固く、もろくなって崩れてしまうのです。そのためにゴム・ホースが残っている個体というのをあまり見かけません。(このページの最初の方に掲載した、キット状態の画像で、ゴムホースが残っているのが極めて稀少です。全く遊ばれず、パッケージから取り出されなかったために残ったのです。) 4つのホースリール全てをリペアしたものに置き換え、皮製の白い丸紐を巻き付けて、ホースにしてあります。海外でリペアされたモデルでは、木綿の紐のようなものを巻いたものが多いのですが、この方が多少なりともゴムの質感に近いように思われたためです。オリジナルのホースリールは、ホースを巻かずに残してあります。 #341・Fire Engine/Brandsprojte/Brandvogn -朱赤または濃赤・ティンプレートホイル、「Falck」(赤はしご・紙製こよりのホース) -朱赤・ティンプレートホイル、「Brandkar」(スウェーデン向け)(赤はしご・紙製こよりのホース) -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ、「Falck」(黄色はしご・ゴム製ホース) -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ、「Zonen」(黄色はしご・ゴム製ホース) #340・組み立てキット |
救急車(Ambulance) シリーズで、もっとも全長の長いモデル。 リア・オーバーハングが延長されていて、その理由はキャビンの中にストレッチャーを収容する長さを確保するためです。なんと、スケールモデル的な発想でしょうか! ただのバン型ボディを白く塗って、赤十字を付けただけのモデルをたくさん作っている近年のメーカーと違って、その姿勢において、まさに尊敬に値すると言えるでしょう。 ブリキ製のストレッチャーが付属しており、この個体でもそれが残っていました。 ティンプレートか、ダイキャストか、ということを越えた、風格を感じさせるモデルです。 こうして見ると、ベッドフォードあたりの実車を連想します。 スペアタイヤを、これもエポキシパテで再生しています。 「斧運搬車」ではトレッドパターンが「>>>>」というものでしたが、この救急車ではこれとは異なるブロック型のものだったため、型を取り直しています。 ボディ右サイド、リアのドアが開閉します。 この救急車だけは、濃赤・朱赤だけでなく、白ボディ、青ボディのものが作られました。 #351(Ambulance) -朱赤または濃赤・ティンプレートホイル、「Falck」 -朱赤または濃赤・ティンプレートホイル、「赤十字」 -白・ティンプレートホイル、「赤十字」(白旗) -白・ゴムタイヤ、「赤十字」(白旗) -青・ゴムタイヤ(赤ホイル)、「Falck」 -青・ゴムタイヤ(青ホイル)、「Falck」 -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ、「Zonen」 -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ、「Falck」 #350・組み立てキット |
動物救助トレーラー(Animal Ambulance/Dyreambulance) 酪農産業の盛んなデンマークで、「動物救護」を任務に加える「Falck」の特徴をいかんなく表すアイテム。色々と資料を調べていて、やっと「Animal Ambulance」の意味がわかりました。 入手した個体では牽引装置の部分が失われていて、資料写真を見つつ、プラ板でリペアしました。 車輌との接続部分は、推測で作ったものなので、オリジナルとは形状が違っているかもしれません。 スケールが「1/30」ぐらいのようなので、何か動物を乗せたくなりました。 Sikuのモデルなどでは、通常は「ホーストレーラー」であり、乗るのは「馬」なのですが、酪農王国デンマークで救助されるのは「牛」なのではないかと考えました。 それで、ブリテン社製の「牛」をイギリスから買いました。白黒のホルスタイン種ではなく、茶色のジャージー種が欲しかったからです。 出品者にテクノのアニマル・アンビュランスに乗せるんだ、と言ったのですが、何のことかわからなかったようなので、写真を送りました。 「どこ製の、いつ頃の時代のファーム・トイか?」という質問。 ファーム・トイではなくて、動物用のアンビュランスらしい。テクノ製、1940年代、イギリスでもそうだけれど、デンマークでは牛を財産として、とても大切にするらしいですよ、と返事しました。「テクノ」にはとても関心を持ってくれたようでした。 この「動物トレーラー」を牽かせるには、どの車輛がいいんでしょうね。 一応、人間用のアンビュランスと、シンプルな「作業車」に牽かせてみました。 こうして見ると、「作業車」は、ダッジのウエポン・キャリアに通じるプロポーションを持っています。 #313・Animal Ambulance/Dyreambulance -朱赤または濃赤・ティンプレートホイル -朱赤・黒フェンダー・ゴムタイヤ このトレーラーにも、組み立てキット版は無いようです。 |
消防士フィギュアを置いてみる テクノのこのシリーズには、ブリキ製のドライバー人形が付属していたようですが、多くが失われています。またこの人形を乗せると、モデルが一気に「おもちゃ化」してしまいます。なので、テクノ・オリジナルの人形付きのものを入手したいとは思いません。かわりに、一緒に置くことのできる消防士フィギュアを探してみました。 ところでこのシリーズのスケールですが、プロトタイプとなる実車をスケールダウンしたものではないため、「何分の一」という縮尺は表示されておらず、資料にも出てきません。見た実感としては、「1/35と1/25の間」というところです。 デル・プラドが欧州で販売した、消防士フィギュアを置いてみると、大体同じぐらいのスケールと思えるのですね。デル・プラドは、54mm・1/32を標榜していますが、実際はそれよりだいぶん大きくて、1/30程度、と言えるものです。 タミヤやハセガワが1/24として作っているフィギュアと並べてみても、ボリューム感としてはほぼ同程度と言えるので、1/25〜1/27ぐらいとしても通用するかもしれません。人間の体格というのは、個人によってずいぶん違うためです。 ですので、テクノのモデルの方はフィギュアより少し小さめ、「だいたい1/30〜1/32ぐらい」と考えたいと思います。 この消防士フィギュアのシリーズには、残念ながら「デンマークの消防士」というものがないので、1940〜1950年代のイタリア、スペインのユニフォームのものを起用しました。このシリーズには日本の消火隊員や救助隊員もあるので、日本で紹介されていないのが残念です。 ミニチュアというのは不思議なもので、フィギュアを置くだけで、世界観がつくられます。 単なる「ブリキの玩具」だったものが、デキの良いフィギュアによって「ミニチュア」に変化するのですね。 |
REISLER DENMARK 「Reisler」という、デンマークのトイ・ソルジャーのメーカーがあり、珍しくデンマークの消防士フィギュアを1/32(54mm)で作っており、テクノの出品者が同時に出品していたので合わせてこれも入手しました。 これを逃したら、なかなか手に入る機会はないだろうと考えて、重大な決意を持って臨んだのですが、それほど高価なものではありませんでした。 プラスチック製で、デル・プラドよりはずっとラフなツクリですが、時代、サイズともに、テクノのこのシリーズと一緒に置くには、より適切かもしれません。ユニフォームもデンマークのものですし。 この消防隊員フィギュアは、1955年のカタログに掲載されているものでした。 入手したのは救助マットを広げている3人(残念ながらマットは失われています)、上方を指さす指揮者、電話する通信手の5名。 カタログを見ると、他にホースや斧を持った消火隊員3種、ストレッチャー搬送する救急隊員も載っています。 製品ラインを見ると、やはり兵隊フィギュアなどが多く、消防士は珍しいようです。 「Reisler」社は1950年代に「Kai Reisler」により創業。 資料サイトでカタログがアーカイブされているのは1953年からです。 1962年に、ソフト〜ハードのプラスチック製にシフト。 兵隊、動物、西部劇など、プラスチック製・ハンドペイントのたくさんのフィギュアが作られ、デンマークの子供たちは多かれ少なかれ、これらの人形で遊び、レゴ、テクノとならぶような、思い出深いトイ・ブランドのひとつだそうです。 「Reisler」社は2008年まで存続し、最終的に全ての生産を終えました。 こういうジャンルにまで資料サイトがある、デンマークはやはり「おもちゃ王国」なのだと思います。(2017/5/14)
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