Nostalgic Patrol Cars Season 2

数は要らない。いいものが少しだけあればいい。


Mehrere tolle Modelle, nicht so viele







突然ですが、私も、この5月で「60歳」に到達するのですね。
若い方から見れば、大変なトシだと思われるでしょうが、時間をかけてこの年齢になったわけなので、自分と世界との関係が変わるわけでもなく、若い頃に想像したほどには感覚は変わらず、いたって普通に過ごしています。

ただ、考えることもいくつかあります。
このままミニカーを増やして行っても、「あの世」には持っていけないぞ、ということです。
火葬にする棺の中には、燃えないものは入れられないですから、「あの世」どころか、墓場にも持っていけないわけです。

そしてもしホームにでも入ることになれば、持っていくことのできる荷物の量が制限されますから、まずこの時点でコレクションを持ち続けることはできなくなるでしょう。

それで、ふと思ったのが、「もし最後まで手放さない」としたら、どんなモデルを選ぶだろうか」、ということです。もちろん、差し迫ってコレクションを整理する必要があるわけではありません。ただコレクションというものは、続けているうちに色々な理由から増殖してしまうもので、本当に1点1点が吟味されているとは言えない面もあるわけです。もし「これだけは最後まで持っていたい」と思うようなモデルを、100台、いや30台でも選ぶとしたら、どれが選択されるだろうと考えることは、自分のコレクションの軸を明確にする上でも意義のあることと思われました。




さて、そう考えると、ドイツのCKO(ゲオルク・ケラーマン)製の、ブリキ製のVW-T1救急車のバリエーション、そしてシュコーのブリキ製・ゼンマイ仕掛けの「ザニ」救急車が、自分にとってかなり大切であることがわかりました(「ニュルンベルクのブリキ救急車(1)」に所収)。

マッチボックスの「フォード・クラウン・ヴィクトリア・ポリスカー」や、ホットホィールの「レスキュー・レンジャー」のバリエーションも好きなコレクションではありますが、これらは各バリエーションの集合体としての意味であって、1点1点の重さではないのです。「1点でも好き」「少数精鋭」ということから言えば、やはりこのドイツ製のブリキ玩具にはかなわないように思えます。


理由としては、

-まず古い年代のトイに特
有の「雰囲気」「空気感」を持っていること。これは私にとって、60年代のコーギーや、モデルペット/大盛屋などの国産モデルをしのぐものがあります。
コーギーや国産モデルには既に60年代に接していたので、懐かしさはあっても「驚き」はありませんが、CKOや旧シュコーは、「その時代に入手できなかった」ものを手にできたことの新鮮さがあるのでしょう。

-次に入手に「それなり」に苦労していること。クレジットカードやPayPal送金ができないような条件の中で、銀行でユーロ札を買って、ドイツに送ったようなモデルが含まれているためです。

-加えて、これはもう理屈ではなく感覚だけなのですが、真っ白ではない、アイボリーの塗装に赤十字を描いた姿が「大好き」というまさに個人的な趣味・嗜好を満たしているためです。




あらためて、VW救急車の集合を充実させる!



基本的な考え方は、「数は要らない。いいものが、少しだけ、あればいい。」ということです。
そういう視点で、あらためて、コレクションであったり、日常的な入手行動を見直したいと思っています。

少しずつ、コレクションは整理をしていく必要がありますし、「買っておいた方がいいかも」程度のものは、入手を控える、ということも実践したいと思っています。実態としては減っていないのですけれどね。

一方で、VW-T1救急車を中心に、「最後まで持っていたい」という集合の中に入れられるモデルを探す努力をすることも必要と思われました。なんのことはない、結局また「買って増やしている」わけで、「整理・縮小する」という方向と、「さらに増やす」という方向は矛盾しているのですが、「買うものを厳選する」という意識を持つことが重要と思っています。



ところで、もうひとつ、ここでお伝えしておきたいことがあります。
このサイトもコンテンツが増え続けていて、コレクション同様にこれまた、どこかで整理をする必要がある、という点です。

現在当サイトは、ニフティと、ヤフー・ジオシティの2つのサーバに分けてデータを保存しており、通常の更新はニフティの方で行っています。更新の必要がないと思われるデータをヤフー・ジオシティに入れたわけです。単にサーバ容量の問題ではなく、Wendows Me の時代に、全データをひとつのファイルで管理すると、編集の処理速度が遅くなったり、突然フリーズしたりしたためです。現在ではそんなことはないかもしれませんが、いま使っている編集ソフトは今後のOSに対応しなくなるかもしれません。できれば、もう少し全体の容量を減らして、やがてはひとつのサーバ、ひとつのファイルで管理をしたいと思っています。

日本のパトカー、国産の古いミニカーに、多くの皆さんの関心があることはわかっていますので、その点にもなるべく留意しつつ、一部のコンテンツについては削除していくこともありますので、その点はご容赦ください。10年以上経っているようなコンテンツもあります。皆さんの方で必要と思われる記事がありましたら、保存していただきますように、お願いいたします。基本は、事前に予告をしてから、その次の更新時に削除するということにしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。(2015/5/3)





 ミニ・ガマ #954・VW-T1 救急車



初回は、比較的古いドイツ製のモデルたちです。
まずガマ(GAMA)製のVW-T1の救急車で、本稿を書くこと、VW-T1の古いモデルをもういっぺん探すことの動機になったモデルです。

裏板に「中島」のラベルが貼られており、JMACの故中島登会長の収集品ということでした。
中島会長が亡くなられた後に、コレクションが散逸したものの中の1点かと危惧したのですが、出品者の方に確かめたところ、中島会長がお元気な頃にスワップミートに出品されていたものを、ご本人から購入したものだということでした。



もうずいぶん以前ですが、絶版品を扱う国内のショップで、1/43クラスの救急車のまとまったコレクションが出ていたことがありました。同じコレクターが手放したものと思われたので、「散逸したらもったいないですね。」と言いましたら、「かなりのおトシでしたから。」というひと言で片付けられてしまいました。死に行く高齢コレクターの収集品は売りさばいて散逸するのも当然、商売品になるなら出自などはどうでもいい、という姿勢が露骨に感じられたため、何か割り切れないものを感じ、いっそう私の足は国内のショップから遠のきました。自分が苦労して集めたものであれば、なるべく集合体として誰かに手渡したいと思うのが、コレクター心理ではないでしょうか。専門店であれば、そういう縁を取り持つのも仕事のひとつのように思えますが、そこまで期待するのはどうやら過大な期待のようです。
ですから、中島会長がご自身で放出されたこのモデルは、私にとってもハッピーな1台なのです。



JMCC会報『コレクター』 1965年12月号(第70号)
「ミニカーの集め方・飾り方─車種別形態別コレクション─(中島登)・連載第1回」(p5)



JMCC会報『コレクター』 1966年9月号(第79号)
「ミニチュアカー 車種・別形態別コレクション(中島登)・連載第6回(p8)


思い立って、ムカシの「JMCC」(ジャパン・ミニチュア・コレクター・クラブ)の会報『コレクター』に、このモデルが写っていないか確かめてみることにしました。私はこの会報を1965年の9月号(第67号)から1年間だけ定期購読していたのです。会報といってもただの定期購読会員で、当時私は小学生でしたけれども、こうして50年間も持っているところをみると、かなり大切に思って来たことがわかります。

この中で、1965年12月号(第70号)の、「ミニカーの集め方・飾り方─車種別形態別コレクション─連載第1回」(p5)、1966年9月号(第79号)連載第6回(p8)に、屋根上の赤い円の中に白十字を付けた、ガマのモデルが写っていました。私の入手したモデルにはチップがあり、『コレクター』誌の写真のものはもっと状態が良いように見えますから、同じ個体ではなく、ダブル・ストックとして所有されていて、後年に状態の良くない方を手放されたのではないかと推測しています。


ガマのモデルは、#955の「コンビ」の金型を白塗装して救急車に転用したもので、著名なコレクターでたくさんの著書を書いているドクター・エドワード・フォースも、1990年の「Made in Germany」(Shiffer Publishing)の中で、「Kombi Ambulance」と書いています(p150)。

「コンビ」(Kombi)は、「(コンビナツィオーン(Kombination)」から来ており、乗用のバス(クラインブース/Kleinbus)と荷物輸送用のバン(カステンヴァーゲン/Kastenwagen)の両方の要素が組み合わされている、という意味で、座席の取り外しが可能で内装も簡素な、乗用・貨物兼用の型式のことを言っています。転じて、「コンビ」(Kombi)はドイツでは「ステーションワゴン」という意味に使われます。

一方、ブラジル/メキシコ/オーストラリアなどでは現地生産が行われたため、「トランスポールター」と同義の言葉として「コンビ」が使われるようです。このあたりも、トランスポールターの呼称が混乱している原因かもしれません。例えば「バン」や「マイクロバス」のモデルを指して「コンビ」と言っているようなケースが多々あります。


ただ、本来救急車(患者搬送車)は、VW社外の専門ボディ架装メーカーによる救急車艤装を受けて、「Typ27・クランケンヴァーゲン(Krankenwagen)」という特殊な形式を与えられており、「Typ23・コンビヴァーゲン( Kombiwagen)」ではありません。
「クランケン」(Kranken)は「患者」、「ヴァーゲン」(Wagen)は「クルマ」で、正式には「クランケントランスポールトヴァーゲン」(Krankentraspotwagen/患者搬送車)と言い、略号の大好きなドイツ人は「KTW」(カー・テー・ヴェー)と略します。「DRK・KTW」とあれば、「ドイツ赤十字・患者搬送車」です。




「Typ27 クランケンヴァーゲン」には、リアゲートに窓のあるものと、ないものがあります。
資料の中で多く見かけるのはリアに窓の無い方のタイプで、CKO・ケラーマンやヴィーキングの1/40モデルはこれを再現し
ています。したがって当初は、純正艤装の「Typ27 クランケンヴァーゲン」には、リアに窓はないのかと思っていました。
以下は資料中に見られる、リアに窓のないタイプの純正救急車です。


下のモノクロ画像で、左上の説明に、『VW救急車は1951年から1963年に非常に多くの数が供給された。価格は大体コンスタントに9500ドイツマルクだった』とあります。
ドイツマルクは、1961年から1968年まで90円の固定相場(ドルは360円)なので、9500DMは当時のレートで85万5000円になります。1968年に『1000ドル出そう。パブリカは君のものだ。』というコピーがあったので(つまり約36万円)、それに比べれば2.4倍ですが、それにしても非常にポピュラーな価格で、それが大量就役につながったことがうかがえます。もちろんVW-T1の新車価格ではなく、特殊艤装をした救急車としての調達価格です。

ちなみに同じ資料では、1951年のオペル・ブリッツ1.5トンの救急車の価格を13250ドイツマルクとしています。
これは大きいわりに、担架は1台しか載りません。


Kraftfahrzeuge der Feuerwehr und des Sanita"tsdeinstes, Werner Osward/Manfred Gih,
Motorbuch Verlag Stuttgart 1977, p307



Typenkompass VW Bus/Transporter 1949-1979 Band 1, Michael Steinke,
Motorbuch Verlag Stuttgart 2003, p54


一方、通常の「コンビ」と同じように、リアゲートに窓のあるタイプもあります。以前にCKO・ケラーマンのモデルについての記事中で、「VW-T1の患者搬送車はリアゲートに窓が無いのが正しい」と書きましたが、そうは言えません。窓のあるものもあります。

車体艤装メーカーによる違いと思われ、例えばボンのクリスチアン・ミーゼン(Christian Miesen)が架装したものは、リアゲートに窓があり、天井側をヒンジとして上に開きます。一方、リアゲートに窓がないタイプは、エンジンルーム側をヒンジとして下に開きます。CKO・ケラーマンのブリキ・モデルはこのタイプです。

ともに、ストレッチャー収容部の床は高くなっており、担架を並べて2台収容できます。これをツヴァイ・トラーゲン(Zwei-Tragen)と呼びます。「トラーゲ」(die Trage)は担架、「トラーゲン」(die Tragen)は複数形です。



100 Jahre Sanita"ts- und Krankenfahrzeuge, Udo Paulitz,
Franckh-Kosmos Verlags-GmbH, Stuttgart 2003, p100




Typ27 クランケンヴァーゲン」は外見的には側面の窓配置やリアゲートの窓などが「コンビ」と同じですから、ミニカーメーカーが「コンビ」の金型を救急車に転用するのは間違っていないと言えるでしょう。
また、同じドイツ赤十字や救助団の所属車輛であっても、患者搬送車でない「コンビ」を、人員や資器材搬送の目的で使っていることもあるわけです。

ガマのミニカーは1963年から1969年の生産。リアゲートに小さいものと大きいものがあります(下の写真)。
裏板の品番は「955」になっていますが、これは上述のように民間型VW-T1 Kombiの品番で、金型を救急車に転用しているためです。
テールライトが大型化されており、T1bの後期であることが知れます。
(ミニカーの生産開始年次の「1963年」が正しいとすると、この時点ではまだT1cは生産されていません。)

前輪が回ると、屋根上の青灯が回転するギミックを持っており、青灯にはカットガラスが嵌めこまれています。60年代には、コーギーをはじめ、ヘッドライトなどにカットガラスを嵌めるのが流行りました。
また、リアゲートと、ボディ右側の観音開きドアの開閉アクションも持っています。これは世代の古いメルクリンなどのモデルが持っていない特長になっています。





こちらは同じ品番の後期モデルで、屋根上灯が普通のプラスチックに(ただし回転ギミックは生きています)、裏板がプラスチックになり、リアゲートが大型化されました。入手したモデルでは、インテリアが赤ではなくタン・ブラウンす。

1963年のT1b、1964年以降のT1cともに実車全長は4280mm、モデル全長98mmで割ると1/43.7という数字になります。

ミニ・ガマというと、VW-T2の救急車はよく見かけますが、T1はあまり見ません。

ガマは、「#9541」で側面窓のないバン(カステンヴァーゲン)タイプのVW-T1赤十字車も作っています。
先日1台見つけたのですが、ドイツの銀行口座への振り込みのみという条件で、これは手数料が高いので、いったん見送りました。
ドイツ製品と言えども、古い年代でのVW-T1の救急車のモデルはそれほどたくさん作られているわけではなさそうなので、今後の入手のテーマにしたいと思っています。


ドイツのオークションサイト(eBay.de)も、以前に比べるとかなり利用しやすくなりました。
まずPayPal支払を受け付けてくれる出品者が多数派になったこと。オンラインショップを手掛ける専門ショップの出品が増えて、海外発送が珍しくなくなったこと、「Deutsche Post Brief」という「小型包装物」で送ってくれることで送料も割安になったことなどです。加えて円安でドルは高くなりましたが、ユーロはドルとの差がむしろ少なくなっています。場合によっては、アメリカより送料が安く、早く届くこともあります。

「海外発送します」(Versand nach: Weltweit)と書かれていて、日本への送料も明記されていれば、特にメッセージのやりとりをしなくても、落札・決済が可能です。ドイツ語サイトからウォッチリストにいったん登録(Auf dieBeobachtungsliste)しておけば、英語サイトから見ることができますので、基本情報は英語で確認できます。ただし出品者がドイツ語で書いた説明は翻訳されませんから、必要に応じて自動翻訳にかけてください。この際、独語→日本語より、独語→英語の方が、ノーマルな訳をしてくれることが多いです。

ウォッチリストに登録しても英語サイトからは見れなくなってしまう出品もあり、この場合はドイツ語サイトで取引する必要があります。ドイツ/フランス/イギリス/アメリカ/オーストラリアなどの各サイトは、それぞれにログインする必要がありますが、ID/パスワード/ウォッチリスト/落札履歴や評価などは全て共有されています。
ログインしたら、個別にログアウトすることを忘れないでください。

日本語サイトである「セカイモン」も、ドイツの出品を扱うようになりましたので、ここであれば日本語で入札可能です。ただしセカイモンの手数料が発生します。「ドイツ国内・ヨーロッパ域内にしか発送しません」(Versand nach: Deutschland, Europa)という商品にも入札できます。出品者は欧州域内のセカイモン物流センター宛に発送する仕組みになっているためです。これも、PayPal支払に対応していないなど、セカイモンのサイトには表示されない(入札できない)出品があります。

当サイトでもeBayの解説をした記事を掲載していますが、時間が経ってしまったために、かなり状況が変わって来ていて、これもそろそろ削除を考えているところです。



 メルクリン #8030・VW-T1 救急車



CKO・ケラーマンを探していた頃に、もうひとつの課題となったのが、このメルクリンのモデルでした。
状態の良いものがあまり出ず、良いものはCKOなどよりずっと高額になります。

以前にリペイントされたモデルを手に入れていましたが、今回オリジナルを入手しました。
やはり塗装剥げがあっても、リペイントではなく、オリジナルを押さえるべきと考えたためです。
マーキングが何もありませんが、おそらくボディ側面の赤十字デカールが剥落しているものと思います。
シートも、ウインドも付いていないモデルですが、「流石にメルクリン」というプロポーションをしていて、他社のモデルよりもボディの曲面が強調されているようです。


ところで話しが前後しますが、「VW-T1」の「T」は、「トランスポールター」(Transporter)の頭文字です。途中の「o」にアクセントがあります。
「T1」(1950-1967)、T2(1968-1979)、T3(1980-1992)、T4(1990-2003)と世代を重ね、現在T5まで来ています。
ビートルを「タイプ1」とし、トランスポールター全体を「タイプ2」とする呼び方がありますが、これではT1からT5におよぶトランスポールターの世代がわからなくなってしまうことと、各世代ごとのボディタイプ別の型式区分(Typ)とまぎらわしくなってしまうので、私は「タイプ2」という言葉は使わないようにしています。

ただし、アメリカだけでなく、ドイツでも「Typ2」(ティープ・ツヴァイ)という表現は使っているようですが、「Typ2 T1」「Typ2 T2」などと書いているようです。「Typ」(ティープ)は略号ではなくて「型式・形式」を意味する単語です。
ドイツ語では「Type」(ティーペ)と書くと、タイプライターの活字の意味になってしまいます。
(さらにややこしいことに、「Typ」「Type」ともに複数形は「Typen」になります。)

ちなみに、VW1500-1600が「Typ3」、VW411-412が「Typ4」ですが、ただこれらは後になってからの便宜的なグルーピングで、生産・販売当初から使用されたカテゴリーではないようです。




こちらはリペイントされたモデル。

メルクリンのミニカーは、1960年頃の生産。一次モデルはリアバンパーがなく、二次モデルでリアバンパーが付きました。もちろん、ボディと一体のキャストで、バンパーは別部品ではありません。
リペイント・モデルの方にはリアバンパーがなく、これが一次モデルです。
一次・二次モデルの両方とも、テールランプは大型化する以前のものです。

実車で1950〜1955年生産のT1aと、1955〜1958年生産のT1bとの外見上の違いは、フロントガラス上部の形状です。T1aでは屋根からフロントガラス面に直接つながっているのに対して、T1bでは屋根側に「ひさし」上の張り出しがあります。
上から見ると、屋根の前端がT1a(下の画像の左)ではフロントガラスの角度そのままに鋭角になっているのに対して、T1b(下の画像の右)には丸みがあります。




そう見ると、リアバンパーのない方(上の写真の左)は「ひさし」のないT1a、ある方(上の写真の右)は「ひさし」の出たT1bということになります。そしてT1aでは、実車でもリアバンパーは連続しておらず、中央部にステップ状の張り出しがあるだけです。
リペイントとオリジナルとして入手したものが、たまたま一次(T1a)・二次(T1b)の違いになっていました。

下の写真は救急車ではありませんが、最初期のT1a(1950-1955)のマイクロバス(Type22 Kleinbus)のリアの形状が写っています。メルクリンの一次モデルはこれを正確に再現しているわけです。
(最初期のマイクロバスは窓の数が少なく、「コンビ」と同じ外見をしています。)

ところで、ひとつ重要な点。実は1950〜1955年生産(実車)のT1aには、リアゲートがないのです。下の実車写真でもそれは確認でき、エンジンルームのハッチだけがあります。メルクリンの一次モデルにもリアゲートのスジ彫りはありません。

問題なのは二次モデルの方にもリアゲートのスジ彫りがないことです。模型の王者メルクリンが型式混同のミスを犯したか??

手持ちの資料(Typenkompass VW Bus/Transporter 1949-1979 Band 1, Michael Steinke, MotorbuchVerlagStuttgart 2003)ではT1bの生産開始は1955年になっていますが、実はVW社は1956年にトランスポールターの生産工場を、それまでのヴォルフスブルクから、同じニーダーザクセン州の州都であるハノーファーに移転したようなのです。そのため生産拠点移転の過渡期であった1956年の3月から4月の約1か月の間、ヴォルスブルクとハノーファーの2つ工場からラインオフされる車両には同じ生産月次の同年式でありながら細部に様々な違いが見られるものがあるということです。

リアゲートが設けられたのが、ハノーファー工場に移転した1956年以降の生産モデルだと仮定すると、ヴォルフスブルクから1955年にラインオフした初期の「T1b」には、リアゲートはないかもしれない、と考えています。

そう考えれば、メルクリンは二次モデルへのマイナーチェンジにあたって、リアバンバーの追加とフロントの屋根形状の修正だけを行い、リアゲートは追加しなかったのではないでしょうか。

Typenkompass VW Bus/Transporter 1949-1979 Band 1, Michael Steinke,
Motorbuch Verlag Stuttgart 2003, p22

エドワード・フォースの資料では、このモデルの元となった「VW-T1 Kombi」の金型は1956年製としています。
1956年には実車は既に「リアゲートあり」のT1bの生産に移行しているはずですが、最初に金型を設計したのが1955年時点で、T1aおよび初期T1bをプロトタイプとしているか、「1956年」という数字に誤差があるかのどちらかでしょう。

しかしT1aおよび初期T1bにリアゲートがないとすると、患者搬送車としての運用上は、側面の観音開きドアからストレッチャーを出し入れしなければならないことになり、この点でも要確認の疑問が残ります。救急車ボディに架装し直す時点でリアゲートが設けられた、ということであれば疑問解消しますが。

モデル全長は95mm。T1aのコンビと救急車は全長4100mm、T1bでは4190mmで、初期4100mmの方で計算すると、ピッタリ1/43という数字になりました。



 ヴィーキング 1/40・VW-T1救急車



ドイツの製品で有名なのが、このヴィーキングの1/40のモデルでしょう。
もともとがVW社のプロモーショナル・モデルで、各国のVWディーラーに送られて展示されたり、イベントの記念品や、セールスマンが客先で説明したりするのに使われたようです。

したがって一部内部構造が再現されており、ルーフをはずしてそれを見ることができるようになっています。バン(カステンヴァーゲン)、マイクロバス(クラインブース)、ピックアップ(プリッチェンヴァーゲン)、消防・警察・救急などがありました。マイクロバスでは、ボディ上半分をクリアパーツにして、ルーフをはずさなくても内部が見えるようにしたものもあります。

VW社のプロモーション用としてだけでなく、一般にも販売されたものと思われます。
救急車モデルは「1951年式」「1954年式」「1958年式」などがあったようで、つまりT1aとT1bということになるでしょうか。この年式表示は、中島登著『ミニカーコレクション・オール絶版車カタログ』(二見書房・昭和55年)p221のリストに掲載されたものです。「54年式」は日本未輸入、「51年式」「58年式」は一部輸入、としています。

入手したモデルは屋根の先端は丸く、明らかにフロントガラス上部の「ひさし」状の出っ張りを再現していますので、1955年〜1958年のT1bということになります。




患者搬送車として、リアゲートに窓のないタイプを再現しています。
内部は運転席のほかに救助隊員または座位搬送用の患者席(ストレッチャーに寝かせる必要がない程度の軽傷の患者さんのためのもの)が合計2つ、担架はひとつしか載らない形式に見えますが、座席をひとつ倒すと、もう1台担架を載らせられる構造のように思います。
ストレッチャーのパーツが付属していたものが、失われているものと思われます。
隊員フィギュアが2体、そして空冷エンジンも入っています。

このモデルも、状態が良ければ、メルクリンに負けない評価額になります。
入手したものは、車体上部側のエッジの一部が欠けています。


ヴィーキングの90周年にあたって、1957年製のDRK(ドイツ赤十字)救急車のリプロ・ボックスがヴィーキング自身から発売されたようです。ところが箱だけで20ユーロしていて、所詮はリプロ・ボックスですから、いまのところ購入は思いとどまっています。

同じく、ヴィーキングは最近になって1/40のVW-T1のシリーズをリバイバルで出したようですが、赤の消防仕様の救急車はあるものの、アイボリーの赤十字車は作ってくれていないようです。

ご存知のように、ヴィーキングは現在は「Siku」ブランドの製品を展開する、リィーデンシャイトのズィーパー社(Sieper GmbH)の傘下にあります。これも時代の流れというものでしょうか。






 ジク・V14 VW-T1救急車



現在はヴィーキングを傘下におさめることになったジク(Siku)。
その、古いプラスチック時代のT1救急車で、1954年から1959年の生産。スケールは1/60時代のものです。
シリーズのスタート時のラインアップに入っていたかどうかは未確認ですが、最初期のモデルであることには間違いがありません。

「Siku」のブランド名は、創業者・リヒアルト・ズィーパーの名を冠した「SieperKunststoff」(ズィーパー・クンストシュトッフ)から来ています。「クンストシュトッフ」はプラスチックのことです。ミニカー参入時のモデルがプラスチックだったことの名残りが現在まで残っているわけです。社名は現在でもズィーパー(Sieper GmbH)です。


モデルはフロントウインド上に丸い「ひさし」の張り出しのない、T1aと思われます。リアパンパーもありません。

フロントとリアに小さな赤十字標章のモールド。これは青の回転灯が採用される以前の緊急車灯火でしょう。
それと屋根上にベンチレータと思われる突起があって、単なるコンビヴァーゲンの色替えモデルではなく、T1a時期の救急車(クランケンヴァーゲン)を再現していると考えられます。
Sikuの「V」シリーズは、子供たちに交通ルールを学ばせる教育玩具としての性格を強く持っていましたから、「救急車」という車種が必要だったものと思われます。
「V」シリーズの「V」は「Verkersmodelle/フェアケールスモデーレ」から来ていて、「フェアケーア」は交通(人やクルマの往来)という意味です。



リアは窓はありませんが、リアゲートと思われる薄いスジ彫りがあります。市販車ではリアゲートが設けられていなかったT1aにも、患者搬送車ではリアゲートが設けられていた可能性を示唆するモデルです。

画像のモデルは車体上半が赤、下半が黒で変わった塗色ですが、ミュンヘンなどの正規消防隊の車輌にこうしたカラーのものがあったようです。上半チョコレートブラウン、下半ベージュのものがあるようで、これを手に入れてみたいものです。ただ、ドイツ本国のオークションサイトと言えども、1950年代のモデルとなると、そういつもゴロゴロと出ているわけではなく、「巡り合い」の機会に期待するしかありません。
上半が黒、下半が赤のものもあり、これが一番稀少なようです。

Sikuは1963年になって、ダイキャストのVW-T1のモデルを作りました。ポリツァイやポストはありますが、残念ながら救急車は作られませんでした。

T1aのコンビ、救急車は全長4100mm、モデルは67mmなので、1/61という数字になります。



  ファーラー VW-T1救急車



ドイツの「ファーラー」という、懐かしいブランド。
60年代に、HOスケールのプラスチック製ストラクチュア(建物類)のキットが日本にもたくさん輸入され、百貨店で買うことができました。

タミヤがやっとモーターライズの「パンサー」戦車を出した頃に、ファーラー製品の精密感と完成度にはおそるべきものがありました。12Vのポンプを仕込んで実際に水を汲み上げて回る水車小屋のキットなどには、まさにカルチュア・ショックを受けたものです。1.5Vの乾電池では動かず、思い立って3線式Oゲージ用のコントローラーにつないだら、勢いよく回ったのを忘れません。

ファーラー製品の主体はHOのストラクチュアや樹木などの鉄道模型アクセサリーでしたが、1/100スケールの飛行機キットなどもありました。これも1970年頃までは、新橋の「ステーション・ホビィ」、代々木の「ポストホビー」などで見かけたものです。
ファーラー社は、何度か経営の危機に見舞われながらも、現在もシュヴァルツヴァルトのギィーテンパッハに健在です。



このモデルは、「AMS」(Auto Motor Sport/アウト・モートーア・スポルト)という電動ミニカーのシリーズで、通電できる道路から集電し、スロット・レーシングのように走らせることのできるシリーズでした。
システムのライセンスをアメリカから得て、1963年からスタートさせたものです。

車内にモーターを入れる必要があるために1/87スケールよりは大振り、かつVW-T1としては腰高ですが、基本はHOスケールの線路やストラクチュアと併存させて、走らせることをねらったものです。
駅までAMSシステムでクルマを走らせ、スロープ経由で貨車にクルマを積み込む、といった、当時としてはかなり高度なギミックも可能でした。屋根上灯が点灯するところも流石のこだわりと言えるだしょう。

ニュルンベルクだったと思いますが、トイ・ミュージアムに大きなレイアウトがあって、列車が走っているだけでなく、定期的に発煙して「火事」が起き、消防車などの緊急車が青灯を光らせて集まって来る仕掛けがあります。そのルーツのような商品です。

1963年のT1b、1964年以降のT1cともに全長は4280mmなので、モデル全長63mmで割ると、1/68という数字になります。

ただしこのシリーズは、日本で販売されているのを見た記憶がありません。
日本では、スロット・レーシングと言えば1/24サイズが主流だったこと、鉄道模型ではドイツのような固定式レイアウトを親子で受け継いでいくような文化がありませんから、およそ日本で売れる商品ではなかったと思われます。

ドイツでは当時はかなり普及した玩具だったようで、ドイツのオークションサイトでは、車輛をはじめ専用軌道、コントローラーを含むセットなど、現在でもかなりの数の出品があります。
車輛はプラスチック製のケースに入り、その上に窓付きの紙箱が付いていたようです。
ちなみに、ファーラーAMSのシリーズをドイツのサイトで検索される場合は、カテゴリーを「Modelauto」(モデルカー)ではなく、「Modelbau」(鉄道模型などを含む模型全体)にしてください。そうするとたくさん出て来ます。

小さなモデルですが、CKO/シュコー/メルクリン/ガマ/Siku、と流れるドイツ製ヴィンテージの記念物として、1台入手することにしました。

ボディはプラスチック製、ドライバー人形が乗っています。
オークション・サイトで見ていると、シールのバリエーションと思われる出品がありますが、どうやらシールは自分で貼りつけるようになっていた形跡があり、バリエーションとみなす必要はないのではないかと考えています。



これもテールランプは大型のものをプロトタイプとしているようで、1964年以降のT1cと考えられます。

次回はT1の続きで、ドイツ以外のメーカーのモデルを掲載予定です。(2015/5/3)






 テクノ(デンマーク)#411 VW-T1 救急車




デンマークのテクノ。60年代から日本にも輸入され、コーギー/ディンキーなどに次ぐポピュラーな輸入ダイキャストミニカーのブランドで、独特の作風が光っていました。「レゴ」とともに、「デンマークのおもちゃ」の名声を確立させたブランドです。

製造年代は1950年代としかわかりませんが、1959年には別金型のT1・コンビ/バスが出ているので、それより以前、ということになりますが、屋根の前縁は、「ひさし」のない鋭角を構成していて、T1aであることが明らかです。リアゲートもありません。したがってT1aの実車が生産された、1950〜1955年に金型が起こされたモデルであることが知れます。

非常に個性的なプロポーションをしていて、年代を感じさせます。フロントガラスから屋根のラインが鋭角になっていることで、T1b以降の丸みを帯びたプロポーションとは違う印象を与えるためでしょう。ウインドは付いていますが、インテリアは入っていません。

入手した2台はデカール違いです。1台は状態があまり良くありませんが、1950年代のモデルであれば、そんなことは言っていられません。この程度であれば、リペイントなどせずに、オリジナルの状態を保たれることをおすすめします。

デカールには、
「白丸に赤十字のもの」
「赤丸に白十字で、リアが「FALCK」のもの」
「赤丸に白十字で、リアが「ZONEN」のもの」
があるようです。
これは、それぞれに別の品番が与えられていたかもしれません。

「ZONEN」方は、白十字の上に、銀色のアイゼンクロイツ(鉄十字)型のシンボルを重ねてプリントしています。「FALCK」の方は、白十字に鳥のシルエットを重ねています。デカールが剥げているわけではありません。
鳥はどうやら「隼」(falcon/デンマーク語で「falk」)のようです。団体名称と発音の近い「ファルク=隼」をシンボルマークのモチーフとしたものでしょう。



前述の中島登著『ミニカーコレクション・オール絶版車カタログ』(二見書房・昭和55年)では、「ファルク」を#413の1次モデル、1953年・日本未輸入としています(p210)。同じく#411を「VWアンビュランス・」1953年・日本未輸入としています。
推測ですが、「Falck」「Zonen」のデカールのないものが#411(Rode Kors=Red Cross)、その後#413となって「Falck」が1次モデル、「Zonen」が2次モデル、ということではないでしょうか。

「ファルク」は、ヨーロッパ最大の民間救急サービス会社で、現在デンマークでは、ファルクは自治体の消防業務の65%、救急業務の85%を担当しています。
デンマークでは1926年から、自治体の緊急サービスを民間企業に委託する制度を実施しているのです。
「Zonen」も同様の民間会社で、デンマークにおけるロード・アシスタンスの競合会社であったものをファルク社が「Zonen」の株式を取得し、これによって救急サービスをさらに拡大したようです。

テクノ製の消防車などに「Falck Zonen」のデカールが貼られていて、デンマーク語で「消防」の意味かと思っていましたが、民間会社の名前とは思いもよりませんでした。


T1aのコンビ、救急車の実車は全長4100mm、モデルは82mmしかないので、ピッタリ1/50というスケールになります。




 テクノ(デンマーク)#405-30 VW-T1 救急車



同じくデンマークのテクノ。

エドワードフォースの「Classic Miniature Vehicles」(Shiffer Publishing,2002)、「Miniature EmergencyVehicles」(Shiffer Publishing,1985)にも写真が載っておらず、巻末リスト中の品番405-30に「White body, RodeKors(Red Cross) ambulance」というのがあるので、とりあえずこの品番としておきます。1959年からの生産。コマーシャル・バンの色々なプリントのバリエーションを、全て「405」の品番から出しているようです。

中島登著の前掲書には、このコマーシャルバンのたくさんパリエーションがカラーで掲載されていて、1980年当時に大いなる羨望をもって眺めたものです。日本にも60年代の初期にほぼ輸入されていたようですが、当然ながら80年の時点では絶版になっていて、ネットオークションなどというもののなかった時代には探しようもないシリーズでしたし、絶版車を扱う専門店の店頭でも高価でした。

妙に塗装がキレイ過ぎて、かえってリペイントを疑いますが、裏側のカシメがはずされていないので、オリジナルの状態なのでしょう。大盛屋チェリカ・フェニックスの付けていたような、ホワイトリボン・タイヤを履いています。
屋根上灯が黄色になっているのは、何か理由があるのでしょうか。



ボディ・タイプは、側面窓の無いもので、これを「Typ 21 Lieferwagen(Kastenwagen)」といいます。
「Lieferwagen」(リーファーヴァーゲン)とは、「配達車」ということです。「Kastenwagen」(カステンヴァゲーン)の「Kasten」は「箱」のことで、「箱車」、つまり「バン」のことです。
なので、「Lieferwagen」を英訳すると「デリバリー・バン」になるというわけです。カステンヴァーゲンの直訳としての「ボックス・バン」というのも極めて適切な訳と言えるでしょう。

私の持っている資料を見る限りでは、T1の患者搬送車で、窓なしのカステンヴァーゲンのボディを使っているものはないようです。窓がないと、患者搬送キャビンの採光に問題があるためと思われます。ヴィーキングの1/40や、CKO・ケラーマンのモデルやのように、窓にスクリーンを設置して採光を調節するのが、搬送する患者さんのためにも良かったのではないでしょうか。

ただし窓のないカステンヴァーゲンを、赤十字や救助団で、資器材搬送車として使った例はあるはずです。

テールランプは小さく、リアゲートのスジ彫りがあるので、1956年以降のT1bということになります。
モデル全長は95mm。T1bのTyp21 カステンヴァーゲンの全長は4190mmなので、1/44という数字になりました。

下は3台ともテクノですが、右と中央の2台は50年代初期のコンビ、左がデリバリーバンで、大きさの違いがご覧いただけると思います。







 マイクロモデル(ニュージーランド)MM504 VW-T1 救急車



ニュージーランドの「マイクロモデル」というブランドによるT1救急車。

「マイクロモデル」は1950年代の初期に創業されて、ダイキャスト・ミニカーを生産していますが、1970年代に経営破綻しています。1990年代に同名の会社がクライストチャーチ(ニュージーランド)で創業されて、50〜60年代の旧マイクロモデルの金型を使った再生産品を数量限定で作りました。おそらくは旧マイクロモデルの金型が発見されて、それを使った復刻生産を行うために創られた会社でしょうか。

シリアルナンバーの入ったカードが同梱されており、「produced from molded components that come fromthe original MICRO MODEL tools 」と書かれています。
50〜60年代の旧マイクロモデル製のモデルとの比較がしてみたいところです。
シートもウインドも付いていないところは、金型の素性が古いことを物語ります。



入手したモデルの出品者は「1960年代製」と書いていましたが、それは明らかに間違いで、1990年代製であることは論を待ちません。50年代初期の旧マイクロモデル社の創業はオーストラリアだったようで、パッケージに「ニュージーランド」とあるものは復刻品と考えて良いのではないかと思います。新マイクロモデル社も、50-60年代の製品との誤認を受けないための配慮をパッケージや同梱のカードでしているわけです。

ホイルキャップに綺麗にプリントされた「VW」マークなどが、新しい製品であることを物語っています。
生産数は1250台程度のようです。

小型テールランプ/リアゲートありのT1bです。全体にガマの1/43モデルに印象が似ていますが、テールランプやリアゲートの大きさなど、微妙な違いがあります。
下の画像で左がマイクロモデル、右と真ん中はガマ製です。マイクロモデルに開閉アクションはありません。



面白いのは、観音開きドアがボディ右側ではなく、左側にあることです。ドイツは右側通行ですが、オーストラリア/ニュージーランドは左側通行であるためです。
マイクロモデルが、独自開発の金型であることの何よりの証明です。



箱の製品名の表記は「マイクロバス・アンビュランス」になっています。
「バス」「マイクロバス」は「人」を運ぶクルマ、「アンビュランス」は「患者さん」を運ぶクルマで、マイクロバスで患者搬送することは、(よほどの災害時でもない限り)基本的にはないわけですから、「マイクロバス」という表現は余分、ということになります。
ただしミニカーとしては、発注リスト上などで単に「VW アンビュランス」とすると、ビートルの赤十字車のようなものと誤解されるおそれもあるので、そういう機能的な識別の役割は果たしているわけです。

車型は「コンビ」で、私の現状の理解ではT1b以降のマイクロバス(クラインブース)は「側面のリア寄りに窓がひとつ多い」ので、このボディは「7席または8席のマイクロバス」でもない、ということになります。英米などでVWのトランスポールターの車型を見る、と何でも「マイクロバス」「サンバ」などと言ってしまう慣習の表れと言えるでしょう。




 Lemezarugyari Lendulet(ハンガリー) VW-T1 救急車



全長163mm のプラスチック製の大きなモデル。
ブルガリアから購入しましたが、モデルはハンガリー製のようです。

モデルの裏側などには何のモールドもありませんが、「Lemezarugyari Lendulet」というメーカーのもののようです。残念ながらハンガリー語(マジャル語)での発音をカタカナに置き換えることができません。
Web上ではハンガリー語の長母音を表示できないので、一応以下に掲げます。



「Lemezarugyari」は語尾変化していて、パッケージに書かれているブランド名は、最後の「i」のない「Lemezarugyar」のようです。1960年代(つまり社会主義時代ですが)からブリキ製玩具を作っていた会社のようです。

同じと思われるモデルの出品の説明に、「1976年製・フリクション走行、サイレンが鳴る!」と書かれていました。
入手したモデルは、フリクションを回しても音は出ません。
1976年も、もちろん社会主義時代です。VW-T1という西側のクルマをオモチャの題材にしていることに興味を惹かれざるを得ません。東ドイツの「バルカス」や、チェコの「シュコダ」のオモチャと比較しても、奇異な感じを受けます。社会主義ハンガリーの子供たちは西側のクルマで遊んだのでしょうか。それとも外貨獲得のために輸出された玩具でしょうか。

救急車の他にも、黄色の民間型、グリーンの郵便車(POSTA)、赤や銀のボディで屋根上にタイヤを積んだラリー用サービスカーなどもあります。これらは全て「コンビ」車型です。またこのメーカーは同じぐらいのスケールのビートルも作っています。



T1aのコンビ、救急車は全長4100mmで、それから計算すると1/25という数字になります。
出品の説明では1/32」「1/30」などと書かれているので、もっとスケールは小さいのかと思って購入したのですが、それよりずっと大きいことになります。

消防士フィギュアたちは、イタリアの「デル・プラド」のもので、身長が65mmぐらいあるので、1/27〜1/28ぐら
いになり、救急車のスケールにマッチしています。(年代がVW-T1に合っていませんが。)

このフィギュアたちも、本来は54mmスケール(1/32)をうたっているにもかかわらず、それよりずっと大きいのです。パートワーク出版の形で世界の消防士フィギュアが出ましたが、日本では発売されませんでした。日本の消火隊員・救助隊員も作られています。「デル・プラド」は中途で日本市場から撤退したわけですが、モデルカーのシリーズでも継続せることができなかったので、消防士人形が売れる素地は日本にはないと判断されたということでしょう。

オレンジの服は、1990年頃の「シュッツアウスリューストゥング・アインザッツ・ヤッケ」(Schutzausru"stungEinsatzjacke)と呼ばれる出動服。
ホースを持っているのは、2003年頃の「シュッツアンツーク・ヤッケ(Schutzanzug Jacke)」と呼ばれる上下の耐火服を来たミュンヘンの消火隊員。しゃがんでいるのはバイザー付きのヘルメットをかぶった、2004年頃のゲッティンゲンの消火隊員で、自給式呼吸器(Atemschutzgera"t/アーテムシュッツゲレート)を調整中です。







 ジョニー・ライトニング(アメリカ) VW-T1救急車



ずっと新しくなって、ジョニー・ライトニングの2007-2008年の製品。
側面窓のないカステンヴァーゲンに、「アンビュランス」のプリントをしています。
ドアのプリント「Hopital Civil」(オピタル・シヴィル/市民病院)はフランス語表記ですが、プロトタイプがあるとしたら、フランスではなくスイスかもしれません。パッケージにもフランス語表記がありますが、これはカナダ市場を意識したものでしょうか。

「Working Ckass Trucks & SUVs」というシリーズのもので、5000台の限定。VW-T1を「1962年式」とうたって
います。
メルクリン/テクノなどのオールド・ブランドが作った「VW-T1救急車」というテーマに自らも挑戦してみるところに、ジョニー・ライトニングの心意気と遊び心を感じます。最近は「TOMY」のブランドをパッケージに表示していますが、この心意気は忘れないでいてほしいものです。



VW-T1というクルマは、メーカーごとに造形の解釈が異なっていて、誠に面白いです。
ジョニーライトニングのモデルは、強度を考えてか、Aピラーをかなり太く再現していて、その分フロントグラスが小さめになり、フロントマスクが独特のものになりました。

リアゲートに「Volkswagen」の微細な文字のプリントがあって、現代のミニカーであることの証明になっています。
側面に窓をプリントしたタイプのものも見かけたのですが、また出るだろうと思ってナメていたら買い逃しました。

全長は68mmで、T1cの全長4280mmから計算すると、1/63というスケールになります。



右から1950年代のSiku、1960年代のファーラー、2000年代のジョニー・ライトニング。SikuとJLでは、作られた年代が約50年離れています。1/60〜1/64サイズのVW-T1の救急車は、意外なほどに作られていません。
VW-T1の実車が現役だったころ、「3インチ」というサイズは、ミニカーにとってメジャーなスケールではなかったためと思われます。

次回もT1の残りのモデルをご紹介する予定です。ただし本稿の趣旨から言って、「VW-T1救急車」なら何でも買う・掲載する」というわけではありませんので、念のため。(2015//5/17)





VW-T1の「お気に入り」モデルの3回目です。
「VW-T1救急車なら何でもいいというわけではない」と言いつつ、まだ、気に入っているモデルはあります。
古い絶版品だけでなく、新しい世代のモデルが加わっているのも嬉しいことです。
まだもう少しVW-T1が続き、T2・T3あたりになるにつれて、モデルの数が減って来る予定です。(2015/7/18)



 プレミアム・クラシックス Art-Nr.18488・VW-T1事故救助車
(ヨハニッター救助団)



プレミアム・クラシックス社(Premium ClassiXXs GmbH)は、ペーター・ブルンナーとトーマス・ロシュマンによって2002年に創業された若い会社ですが、1851年の創業で(存続は1966年まで)、ニュルンベルクでティンプレート・トイを作っていたカール・ブープ「BUB」の商標を買い取り、2002年から「BUB」ブランドでの1/87・ダイキャストの製品ラインを展開しています。会社は、ニュルンベルクの近くの「ヴェンデルシュタイン」というところにあります。

「BUB」は英語読みで「バブ」と呼んでしまいそうですが、創業者の名前なので本来は「ブープ」です。ドイツ語では語尾の「b」が濁音にならずに半濁音になります。大戦末期のドイツ軍用車両の塗色を「ドゥンケルゲルプ」(Dunkelgelb/ダークイエロー)と言いますが、あれと同じです。

「BUB」は1/87スケール、シュコーのピコロのようなソリッド・メタルのシリーズでしたが、近年になって1/43スケールにも参入し、こちらは社名そのままの「プレミアム・クラシックス」のブランドで展開しています。

同社の1/43シリーズは、若干の乗用車モデルが含まれるものの、ほとんどがバン/トラックなどで占められていて、他社の商品ラインに比べると異彩を放っています。

VWトランスポールターでは、既にT1/T2/T3/T4をモデル化しており、いずれにも救急車仕様があります。
他にもメルセデスL3000トラックの赤十字車があり、これも魅力があります。
メルセデスのL319のバン、VW-LT、VW-T1のピックアップなどの金型もあるので、いずれ赤十字仕様が出て来ることを期待しています。

こういった乗用車以外のモデルについては、メーカーの企画スタッフの中に「はたらくクルマが大好き」という人がいてくれることが必要で、「BUB」シリーズの企画の中にも、既にその傾向は表れていました。
私は本来、この種の「中国製・模型的再現度の1/43モデル」というのは好きではないのですが、プレミアム・クラシックスのこのシリーズは、「はたらくクルマ好き」を満足させてくれる空気感を持っていると思います。ドイツ人は「はたらくクルマ」が大好きですから、この点は市場ニーズにも合っているでしょう。
一方で、「ミニチャンプス」の方は、「チャンプス」と言うだけあって、レーシングカー/スポーツカーが「好き」であり、得意のようで、「はたらくクルマ」にはあまり思い入れがないように見えます。



そのプレミアム・クラシックスは、VW-T1では通常型の救急車のモデルはまだなく、ごく最近になってハイルーフの救助車のモデルを出しました。

「Unique-Edition」というサブブランドの表記があり、製品名は「Hochraumkrankenwagen Johaniter」(ホッホラウム・クランケンヴァーゲン・ヨハニッター)です。
「Raum」は「空間」、「hoch」は「高い」という形容詞で、「高い空間を持つ患者搬送車」つまり「ハイルーフ・アンビュランス」ということです。

実車の型式は「T1c Sonderausfu"hrungen 21-M 222 Rettungswagen mit Clinomobil-Einrichtung」「T1b 21-M 222 Clinomobil」で、「特殊仕様車 21-M 222・クリノモビール設備のついた救助車」または「クリノモビール」ということになります。

「Sonderausfu"hrungen」(ゾンダー・アウスフュールンゲン)は「特別仕様」(Special versions=複数形)ということで、梯子やポンプを積んだ消防車等々、特殊装備を施した車輛群です。


Typenkompass VW Bus/Transporter 1949-1979 Band 1, Michael Steinke,
Motorbuch Verlag Stuttgart 2003, p62


「クリノモビール」がそのものズバリで辞書にないのですが、どうも「移動診療所」というように読めます。
「医師同乗車」や救急救命士同乗の「ハイメディック」というシステムや車輛が整備されていなかった時代に、単なる「患者搬送」にとどまらず、「車両内での医療行為ができる」ということを「移動診療所(クリノモビール)」という言葉で言っているのだと思います。つまり「ハイメディック」の直接のルーツになる車輛です。もともとは地方などを巡回しての検診や診療を行う機能を担っていたとも考えられます。

患者搬送だけでなく、医師が車内で救命処置を施すとなると、医師がある程度自由に活動できる空間的な余裕が必要、ということになります。その空間を確保するため、通常のVW-T1コンビではなく、既にバンや移動販売車などとして活用されていた、ハイルーフ仕様(Grossraum-Kastenwagen, Grossraum-verkaufswagen)を活用したようです。資料には、「救命救急の揺籃期に、有利なコストで、期待にかなう車輛を実現できた」とあります。
つまりVW-T1という車輛は、大きくて高価な救急車や消防車などを持つことがむずかしい、地方の自治体や、救助団・消防団などに、リーズナブルな価格で、有用な機能を備えた車両を保有する機会を提供したクルマだったのです。

当初から救命救助車として設計されたものではなく、ハイルーフバンのボディを利用したものであるため、リアゲートが小さいことに問題があったようです。しかし車内では患者に対して三方から処置をすることが可能でした。


「Typenkompass VW Bus/Transporter 1949-1979 Band 1」の中の記述では、生産はハノーファーの「クリノモビール製造所」(das Clinomobilwerk in Hannover)で行われた、としていますが、「100 Jahre Sanita"ts- undKrankenfahrzeuge」では、これを1960〜65年の生産分はハノーファー・ランゲンハーゲンの、救助車専門工房である「移動診療所・医療設備製造 有限責任会社」(Clinomobil-Hospitalwerken GmbH)が担当したとしています。ランゲンハーゲンは、ハノーファー州都地域の中の街で、現在でも空港は「ハノーファー・ランゲンハーゲン空港」と言います。

車体高は2600mm、室内の高さは1750mmあったようです。ドイツ人ですとアタマが天井につかえるかもしれませ
んが、ほぼ立って活動できるだけの高さがあったことになります。

下の写真は、ドイツ赤十字・フランクフルト・アム・マインのものですが、クリノモビールは各州の赤十字(DRK-Landesverbande)、病院(Krankenha"user)、企業内消防隊(Werkfeuerwehren)などで使われました。


100 Jahre Sanita"ts- und Krankenfahrzeuge, Udo Paulitz,
Franckh-Kosmos Verlags-GmbH, Stuttgart 2003, p120


1967年の後半に「DIN 75080」が制定されて、救急車が「患者搬送車」(Krankenkraftwagen(クランケン・クラフト・ヴァーゲン)/Krankentransportwagen(クランケン・トランスポールト・ヴァーゲン・KTW))、「救助車」(Rettungswagen (レットゥングス・ヴァーゲン・RTW))などに分類され、「救助車」という制度が確立されるのですが、それまでの先駆的な車輛として活用されました。1982年には引き続き使われている車両は稀になったそうです。


※「DIN」はドイツ工業規格(Deutsche Industrie Normen/ドイチェ・インドゥストリー・ノールメン)です。
その後、患者搬送車・救助車に関する標準規格は改定され、現在は「DIN EN1789」 によって等級が分類されています。
「DIN 75080」当時の「クランケン・クラフト・ヴァーゲン」と「クランケン・トランスポールト・ヴァーゲン」の違いですが、「クランケン・クラフト・ヴァーゲン」が「機能的に患者搬送ができる車輛」であるのに対して、「クランケン・トランスポールト・ヴァーゲン」は、しかるべき救助団等の管理下にあって運用されている車両である、というようなことのようです。)




プレミアム・クラシックスのモデルは、ヨハニッター救助団の車両で、窓配列等が若干異なるものの、資料に同種の車両が発見できました。事故救助車で、ベースはT1cの「21-M 222 Rettungswagen mit Clinomobil-Einrichtung」(レットゥングスヴァーゲン・ミット・クリノモビール・アインリヒトゥング/移動診療所設備のついた救助車)です。


Typenkompass VW Bus/Transporter 1949-1979 Band 1, Michael Steinke,
Motorbuch Verlag Stuttgart 2003, p80


車体に付けているシンボルマークは、マルテザーと似ていますが、ヨハニッターのものです。
正式名称は「ヨハネ騎士団事故救助協会」(Johanniter-Unfall-Hilfe/ヨハニッター・ウンファール・ヒルフェ)です。

モデルは非常に良く出来ており、アイボリー色の塗色は、昔のCKO・ケラーマンのモデルを彷彿とさせます。
車高が高いために大きな車輛に見えますが、ベースがVW-T1ですから、大きくはありません。

ただし上記のような経緯と理由から、この車両を、ベースのプリントにあるような「Hochraumkrankenwagen」と呼ぶべきかどうかについては、若干の疑問が残ります。基本は「クリノモビール」「救助車」(レットゥングスヴァーゲン)であって、単なる「クランケンヴァーゲン」ではないからです。


ブレキナも1/87で、同じハイルーフ仕様の赤十字車(#93226)を作っていますが、これは「Einsatzleitung」(アインザッツライトゥング)としています。「Mission Control」、緊急出動指揮、つまり「移動指揮所」と読めます。

プレミアム・クラシックスには、今後も実車をプロトタイプとした、本格的な特殊車のモデルを期待したいと思います。




 ディッキー・シュコー・Art.-Nr.02717 VW-T1・マイクロバス人員輸送車
 (バイエルン赤十字)



プレミアム・クラシックスに続き、近年の1/43モデルで、シュコーのT1バスです。
モデルは1000台の限定。

かつてドイツの老舗ブランドだった「シュコー」も1976年に倒産。その後何度かの経営主体の変更を経て、現在は「ズィンバ・ディッキー」グループの傘下にあることはご存知の通りです。「マジョレット」と同じグループです。本社はニュルンベルク近郊のフュルトゥにあります。

シュコーの1/43ラインも「中国製・模型的再現度」のカテゴリーにありますが、VWトランスポールターに関しては収集の対象にすることにしました。

モデルづくりというのは、単に実車を1/43にスケールダウンしただけでは不十分で、「ぜひこクルマをモデル化したい」「モデル化にあたってはこう表現したい」という、かなり強いポリシーが必要です。
このシュコーのVW-T1は、旧シュコーが顕在だった時代のクルマを現在の技術で再現するにあたっての、「こだわり」や、「シュコー」ブランドを名乗るにふさわしいプライドが感じられたからです。
古いブランドを買収し、継承・存続させていくのであれば、そういう点は不可欠です。単に「看板をもらった」だけではなくて、そのブランドの特質は何だったのか、ということが、新世代のスタッフに理解されていなければなりません。



運転席ドア以降の側面窓が、コンビでは3つですが、マイクロバスでは4つになります。
「ザンバ」は、1951年にマイクロバスのデラックスバージョンとして登場したもので、左右のルーフパネルに4つずつのスカイライト・ウインドウが開けられ、加えてキャンバス地のスライディング・ルーフが設けられました。

VW-T1の車型を見ると、コンビでも、マイクロバスでも、何でも「サンバ」としている説明がありますが、基本は屋根のスカイライト+スライディング・ルーフがあるものが「Samba」です。ドイツ語では母音の前の「s」は濁音になって「ザンバ」になります。ブラジルの踊りの意味そのままです。


さて、「ザンバ」ボディの救急車(患者搬送車)があるか、という問題ですが、これは「ない」と言っていいと思います。「ザンバ」のコンセプトは、レジャー用途のために、スカイライト+スライディング・ルーフという装備をわざわざ付けて、開放的な室内を実現させたわけですから、「患者搬送」とはそもそもの目的が全く違います。救急車艤装をするにあたって、わざわざ「ザンバ」ボディをベースにする必要がないだけでなく、かえってコスト高になるだけでしょう。

では、シュコーのこのモデルが架空マーキングのバリエーション・モデルかと言うと、赤十字や他の救助団が、人員輸送車としてザンバ車型のマイクロバスを使用した可能性はあるわけです。

ドア横のプリントに、「Nu"rnwerg 1 Einsatzleitstelle」とあり、バイエルン赤十字の、「ニュルンベルク1号車・指令センター(アインザッツ・ライトシュテーレ)」と特定しています。屋根上にスピーカーを載せており、実車のプロトタイプがあると考えるのが自然でしょう。
パッケージ上の品番ラベルにある「BRK」は、バイエルン赤十字(Bayerisches Rotes Kreuz/バイエリシェス・ローテス・クロイツ)です。ニュルンベルク地域を所管するのは「BRK Kreisverband Nurnberg-Stadt/クライスフェアバント・ニュルンベルク・シュタット」になります。

「ニュルンベルク22号」のVW-T1患者搬送車は保存されているのが確認できましたが、「ザンバ」は実車写真を確認できませんでした。

シュコーは1/87でもこのザンバのドイツ赤十字車を複数タイプ作っていますが、このあたりのモデルになると少々実在性は怪しくなって来ます。



例えばこれは、ゾーリンゲン消防の患者搬送車(#25457)。側面のプリントはルーペで見ると確かにゾーリンゲン市の市章(錨・剣・ベルク城)になっており、「Berufsfeuerwehr Solingen Nr.2」と書いてあるようてす。
スカイライト・ウインドウ+スライディング・ルーフの「ザンバ」に、堂々と「Krankenwagen」(患者搬送車)と書かれていることに少々の疑問を持ちます。カラーリング/マーキングには実車のプロトタイプがあるのかもしれませんが、果たしてそれが「ザンバ」車型かどうかは確認できませんでした。
間違いだと決めつけるだけの情報もないので、研究課題としておきたいと思います。

シュコーは最近になって、1/43でゾーリンゲン消防の赤に黒ストライプの救急車も作っています。これもなかなか良い雰囲気です。

こちらは、同じく「ザンバ」に大きな赤十字を描き、「Rotes Kruez」を標榜しているもの(#25429)。ただし「Krankenwagen」(患者搬送車)を名乗っていのいなので、赤十字の人員輸送車としては通用する仕様です。





 ディッキー・シュコー・Art.-Nr.02713 VW-T1・マイクロバス人員輸送車
 (マルテザー救助団)



同じディッキー・シュコーの製品で、「マルテザー」塗装のもの。
2003年のマルテザー救助団50周年にあたって、限定品として作られました。

マルタ騎士修道会救助団(Malteser Hilfsdienst/マルテザー・ヒルフス・ディーンスト/MHD )は、起源は12世紀にまでさかのぼる「マルタ騎士団」ですが、救助団の設立は1953年で、したがって2003年が50周年だったというわけです。

BRKの「ニュルンベルク22号」と同じく、マイクロバスの「ザンバ」で、患者搬送車ではなく人員輸送車だろう、ということになります。

シュコーは1/87でもこのザンバのマルテザーを作っています。これはギフトセットに入れられていたもののようで、ケースなしの状態で出ているものが多いようです。

シュコー1/43と同じ「ヴュルツブルク・ヴァーゲン201」(WU"RZBURG WAGEN 201)は、ブレキナも1/87でスライディングルーフ付きのザンバのモデルを作っているので、写真とか、保存車輛とか、何か資料的な裏付けがあるのでしょう。マイン川河畔の、ドイツでも一番古い音楽学校のある街です。

こちらもパッケージは「限定品」をうたっていますが、DRK仕様のように、ベース上に生産台数の表記はありません。





  バンダイ「世界の自動車シリーズ」#801・VW-T1救急車(ティンプレート製)



買おうか、買うまいか、と迷った1台。
迷ったのはその大きさで、全長で190mmあります。ハンガリー「Lemezarugyari Lendulet」製のプラスチックのモデルが163mmでしたから、それよりさらに大きいのです。
T1bカステンヴァーゲン/コンビの全長4190mmから計算すると、約1/22という数字になります。前輪にフリクション動力が入っています。

CKO・ゲオルク・ケラーマンのブリキ・モデルとの比較で、1台持っておいてもいいか、と思い、購入することにしました。窓に運転士の絵がプリントされていたり、赤い派手なストライプや「AMBULANCE」の大きな文字のプリントがないなど、「スケールモデル」のツクリになっていて、赤十字だけの清楚な姿をしていることも購入決意の動機になっています。

そもそも、この種のティンプレートで、日本円で4万も5万もするようなものはとても買えませんが、119ドルだったことも購入の理由になっています。メッキ部に錆が出ていることや、塗装剥げがあるためでしょう。箱付きのもっと状態の良いものでは、同じモデルが458ドルまで上がっているのも見ました。
アメリカから購入しましたので、約50年ぶりに日本に里帰りしたことになります。

モデル内容を見てみると、まず「救急車」を標榜しつつ、ボディは側面窓のないバン「カステンヴァーゲン」のものを使い、それに何と片側4列のスカイライトを持つ、マイクロバス・ザンバのルーフを載せています。
これは、ドイツに輸出したら、皆がびっくりする誤解だろう、と正直思います。

ところが屋根のスカイライトは、くぼんでいるだけで、「窓」として抜けてはいないのですね。
どうやら、バンダイは同じサイズで、民間型のマイクロバス・ザンバも作っており、その場合はプラ製のスカイライト部品を、これらの「くぼみ」に嵌めこんで表現していたようです。窓として抜いてしまわないのは、おそらくブリキパーツの強度の関係でしょう。
ところが、窓のないカステンヴァーゲンのボディ上半と、スカイライトのくぼみのあるルーフ部分は一体でプレスされているので、何とも奇妙です。ここが別部品であれば、それぞれのパーツを流用したということで納得もできるのですが…。ルーフ部分のプレス金型は、結局マイクロバスとバンで共用されていたということなのでしょうか。

雰囲気そのものは良く、60年代・日本製・ブリキモデルとしては、稀少な車種ではあります。



バンダイは、1951年には既にオリジナル金属玩具(ブリキモデル)の輸出販売を開始。シリーズ初期の車種選定に当っては自動車模型コレクターの朝田隆也氏が監修をしていたようです。
朝田氏は、『コレクター』誌(JMCC月報)の創刊号(1960年3月)で座談会に出席しているということで、1950年代からモデルカーを収集していた稀有なコレクターの1人だったようです。
その後の『コレクター』誌では、「ブリキの玩具はモデルカーではない」といった論調が見られるようになりますが、これは『コレクター』誌が、アサヒ玩具、大盛屋、国際貿易など、ダイキャスト・ミニカーを扱う事業者の販促誌だったことと関係があるものと思われます。

バンダイ製の金属製自動車のラインアップには多くの外国車も加えわれ、これ以降しばらくは輸出主体の事業になっていくようです。確かに当時国内では、「警視庁」マーキングの国産車よりも、「POLICE」とプリントされたアメリカ車のブリキモデルが多かったものです。これらは輸出用に生産したものの余剰を国内に流通させていたのでしょう。

1959年7月に金属製スケール・モデルカーのシリーズとして「世界の自動車シリーズ」(Scale Model 'Automobiles of the World' Series)を開始。また同年に「品質がすべてに優先する」というモットーを表現したシンボルマーク(通称ばんざいマーク)を制定します。
この時点では社名はまだ「株式会社萬代屋」で、「バンダイ」に社名変更するのは1961年5月です。



入手した救急車モデルの裏板には「BC」マークがプレスされており、「SIGN OF "BC" QUALITY, MADE INJAPAN」となっています。これが「萬代屋」時代の「ビーシーマーク」で、「ばんざいマーク」が右手に掲げているものです。「C」の中に「B」を配しているので「ビーシー(BC)」マークです。
入手したモデルでは箱は失われていますが、箱付きの別個体の画像では、赤い箱に白黒印刷のフタが付いており、フタの天面には、同じく「ビーシーマーク」が印刷されていて、「ばんざいマーク」はありません。
この赤い箱と「ビーシーマーク」の組み合わせで「赤函ビーシー保証玩具」をセールストークにして、品質の高さをうたっていたのです。

出品者の説明では、このVW救急車の年代を「1966-1967年」としていて、これはこの種のモデルの生産年代としては、かなり絞り込まれていると言えますが、これらの状況を考えると疑問もあり、1959年の「ばんざいマーク」制定以前から生産されていたとも考えられます。


現在のドイツのネットオークションでも、バンダイ製のビートル、VW-1600、メルセデス、BMWのイセッタ、フォード・タウヌスなど、相当の数が見い出せます。スウェーデン語の「POLIS」をプリントしたボルボや、メルセデスの「POLIZEI」仕様などもあります。アメリカへの輸出だけでなく、ドイツを含むヨーロッパにも輸出され、かつ各国市場対応の仕様が作られていたことが知れます。

またドイツでは「Bandai Blech」で検索しても、ロボットのようなものはひとつもヒットせず、自動車のスケールモデルだけをヒットすることにも驚きました。バンダイ製品のスケールモデル(Blechauto)としてのツクリは、精巧さを好むドイツのマーケットでは高評価だったと思われます。ビートルの黒いオランダ警察仕様は600ユーロ(約82,000円)で出ており、現在の市場評価も高いものになっていました。日本製品の技術水準を世界に示したのは、実は本物の自動車よりも、玩具の自動車の方が早かったのです。



バンダイ「世界の自動車シリーズ」は、いわゆる「箱スケール」で、実車が小さいものはスケールが大きめ、実車の大きなものはスケールが小さくなったようで、1/15〜1/29ぐらいの幅があるようです。1/27〜1/29というのはフルサイズのアメリカ車の場合であり、VW-T1の1/22というのは、ヨーロッパ車の標準というところでしょうか。

バンダイは、このモデルの他にもVW-T1の救急車を複数作っており、25cmサイズで「ザンバ」車型のもの(側面に大きな赤十字、赤灯)、6インチサイズで「コンビ」車型のもの(赤ストライプに側面赤十字「AMBULACE」・赤灯)、8インチサイズで「ザンバ」車型のもの(黒ストライプに側面赤十字「AMBULACE」・屋根上に大きな赤十字・屋根上灯なし)などがあるようです。「世界の自動車シリーズ」のスタートが1959年ですから、いずれも60年代製と考えてよいでしょう。このうち「6インチ」「8インチ」のものはプリントがトイ・ライクで、個人的には高いお金を出してまで求める気がしません。


バンダイの「世界の自動車シリーズ」については、日本語のカタログなども発行されていたようですが、ダイキャスト製品のように現存している資料が少なく、コレクターの数も少ないことから、海外でのネットオークションの出品でも商品説明を「60年代」といった程度の曖昧な記述にしているものがほとんどです。

もともと日本のメーカーなわけですから、資料的には日本国内の方が恵まれているはずで、各年次のカタログや「東京玩具商報」などの業界誌上での広告で発売年を特定することはある程度可能と思われます。(ただし国内販売と海外各国での発売では、タイミングが異なっているおそれはありますが。)

バンダイは栃木県壬生町「おもちゃのまち」にミュージアムを持っていますので、自社製品やカタログなども保存している可能性があります。アサヒ玩具、大盛屋などは玩具製造事業者としては存続していませんが、バンダイはそのまま存続しているわけですから、資料の体系的な公開を期待するところです。
日本製ブリキ自動車の領域も、今後の研究課題と言えそうです。




  ローンスター・インピィ VW-T1・マイクロバス人員輸送車




「ROAD-MASTER "IMPY" SUPER CARS」「LONE STAR MADE IN ENGLAND」のモールドが裏板にあります。

ローンスターの出自は意外に古く、「Diecasting Machine Tools LTD」(D.C.M.T.)の社名で、他の製造事業者のためのダイキャスト鋳造設備を作っていましたが、1947年からクレセント・トイのためのトイ・カーの生産を始めました。ところがクレセントが1950年に破綻してしまったため、自社でのトイ生産と出荷を行うようになりました。

トイ・ガンなども製造しつ、1956年から始めた1/35程度のトイ・カーのシリーズに「ROAD-MASTER」という名前を付けたようです。「IMPY」というのは、1966年にスタートした、3インチ・サイズのシリーズの名前で、スケールは1/58から1/63ぐらいまでの幅がありました。




開閉アクションを持つことをシリーズの特長としていて、このVWバスでも、リアゲート/エンジンフード/ボディ右側の観音開きドアの開閉アクションを持ちます。1/43サイズでも採用しないほどの多彩なアクションですが、これが災いして、現在ではドアやハッチ類のパーツが脱落してしまっているモデルも多く見かけます。

70年代に入って、ご多聞にもれずスピードホイル化の荒波を受け、ホイルを履きかえて「LONE STAR FLYERS」というシリーズを名乗りました。画像のモデルは、スピードホイル化され以前のものです。
ローンスター社と、親会社であるD.C.M.T.社は、ともに1983年には全ての事業を終了しました。

モデルは、「スカイライト+スライディング・ルーフ」を持つ、マイクロバス「ザンバ」の車型です。
パッケージには「AMBULANCE」の文字があったので、皆がそのように認識しているモデルですが、裏板には「AMBULANCE」の表記はなく、赤十字デカールの類も付けていません。



室内は、車体軸線と並行して対向するベンチシートという不思議な座席配置(つまりムカシの路線バス)で、コンビや救急車のレイアウトとはほど遠いものがあります。赤十字がありませんから、警察の人員輸送車だと言ってもいいぐらいのラフなツクリです。
民間型マイクロバスも作られていますが、違いはボディの塗色と屋根上灯の有無だけです。

屋根上灯にクリアブルーのものと、不透明青のもの、シートに赤/オレンジ/タン、ホイルにレギュラーとフライヤー(スピードホイル)といったバリエーションがあります。

面白いのは、左ハンドルで、側面の観音開きドアも、ニュージーランド製マイクロモデルのように左側にではなく右側にあります。実車ではオーストラリア工場でラインオフしたものだけが、左側サイドドアを持っているのでしょうか。

バンパーtoバンパーの全長で75mmあり、T1b・サンバの全長4220mmで換算すると1/56という数字になります。(ただし裏板のスケール表示は1/59です。) 






VW-T1の「お気に入り」モデルの4回目、新しい製品を中心とした、気になるモデル6点です。
今回で「T1」は一応終了し、次回は「T2」のモデルを拾うつもりでいます。(2015/10/17)



  ウェリー(香港) VW-T1救急車



ウェリー(Welly)というメーカーが、雰囲気の素晴らしいT1救急車を作りました。
安価で後輪にプルバックの入っているトイ・カーですが、塗装も綺麗で、何よりもCKOケラーマンのブリキ・モデルと丁度同じぐらいのサイズです。

チェコのコヴァプというブランドがCKOのレプリカ・モデルを近年になって作りましたが、VW-T2だけで、T1は作ってくれませんでした。そのブランクを埋めてくれるようなモデルです。
ブリキではなくダイキャストですから、側面の観音開きドアが開閉するというアクションも持っています。

ウェリーの歴史は意外に古く、1976年に遡ります。
現在でも本拠は香港ですが、工場を中国本土に置いているようで、そのためモデルの裏板の表記は「China」になっています。

このモデル、日本にも入って来ているようでしたが、この個体に関してはドイツから交換で送られて来ました。「Gollnest & Kiesel KG」(ゴールネスト・ウント・キーゼル・カー・ゲー)と書かれたタグを付けています。シュレスヴィヒ・ホルシュタインの玩具メーカーですが、この商品に関するドイツでの代理店のようです。




アイボリーにグレイは良い色調ですが、左側面だけに書かれた「KRANKENWAGEN」のマーキングは奇異な感じを受けます。「救急車」とだけ漢字で書いた救急車が日本で走っていないのと同じことです。

シュコーのピコロで、DRK(ドイツ赤十字)・ヒルデスハイム・マリーエンブルク(Kreisverband Hildesheim-Marienburg)の救急車が出ており、ウェリーのモデルと同じ塗り分けがされています。どうやらDRKや所属救助団(クライス・フェアバント)のマーキングを省略してしまったために、「KRANKENWAGEN」の文字だけが残ったということのようです。DRKの許諾を取得することを面倒臭がったものかもしれません。
ピコロのモデルはボディ右サイドにも当然同じマーキングがあり、車体後面にも赤十字を描いています。


モデル全長は114mmで、T1bのコンビヴァーゲンの全長4100mmから換算すると、1/36という数字になります。




  ウェリー(香港) VW-T1救急車(ドイツ赤十字)



ドイツの検索サイトで実車の画像を探していて、偶然遭遇したモデル。
金型はウェリーですが、ボディ全体をアイボリーに塗り、運転席のドアサイドに「DEUTSCHES ROTES KREUTZ」(ドイツ赤十字)のプリントがあります。車体上半分がグレーの「KRANKENWAGEN」のマーキングに比べて、ずっとスケールモデルらしくなりました。

ドイツ版「楽天」のようなサイトに、ノルトライン・ヴェストファーレンのトイ・ショップが出品していました。モデルショップではなく、低年齢向けのものも含む玩具全般を売っている店です。早速購入を試みるものの、欧州域内向けの送料しか表示されず、「日本に送ってくれるか」というメッセージを送っても、返事がもらえませんでした。それでオーストリアの交換相手であるベルントに購入を依頼し、送ってもらったものです。価格そのものは安価で、6.19ユーロでした。

車体上半分がグレーのモデルとは違って、窓つきの白箱に入り、こちらはドイツにおける販売元がニュルンベルクの「GT-Marketing GmbH」になっています。

どうも「Gollnest & Kiesel KG」の流通チャネルよりも、「GT-Marketing GmbH」チャネルの方が、モデルカー・コレクター向けの仕様になっているような気がします。
ウェリーは、1/24〜1/18で、他にもドイツ車のモデルをたくさん供給しています。

プレミアム・クラシックスなどのモデルはドイツ国内でもかなり高価ですから、こういう安い価格帯で、かつ良質なモデルカーというのは絶対に必要であると考えられます。その分野の商品をウェリーが提供する役割を担っているのでしょう。





このモデル、裏板はカシメではなくビスどめなので、加工の可能性を探ろうとして分解を試みたところ、意外な発見をしました。
ボディ上部グレーのモデルは、上半分(グレー部分)がダイキャスト、下半分(アイボリー部分)がプラスチックなのに対して、アイボリー1色のDRK車は、何と上半分がプラスチック、下半分がダイキャストなのです。それでこの2種、上下分割されているボディのそれぞれに互換性があるかというと、側面の観音開きドア(ダイキャスト製)のヒンジ部分のたてつけが異なるために、互換性がなく、取り替えることはできないことがわかりました。どうしてわざわざ、こういうことになっているのか、理由はわかりません。

プラスチックであれば切削ができるので、リアゲートを切り抜いて開状態に、患者搬送車としての室内の再現をしようか、などと目論んだのですが、断念しました。リアゲートは、いずれのモデルでもプラ部分とダイキャス部分に2分割されているためです。

下は、1960年発売のCKO・ゲオルク・ケラーマン(左)との、55年の時を超えたツーショット。
サイズはほぼ同じなのですが、CKOがずいぶんデフォルメされていることに、あらためて気付かされます。
ウェリーの金型でアイボリー1色のモデルを企画した人は、おそらくこのCKOのモデルを意識しているのではないかと想像しています。






  VW-T1ピックアップ(ドイツ赤十字)



ドイツ赤十字塗装の救急車と同時に見つけたモデルで、ダブルキャビン(Doppelkabine/ドッペルカビーネ)のピックアップ(Pritschenwagen/プリッチェンヴァーゲン)、赤十字(DRK)マーキングという、大変にマニアックな仕様になっています。

プレミアム・クラシックスは、1/43でVW-T1のピックアップの金型(シングルキャビンとダブルキャビンの両方)を持っていますが、赤十字仕様はまだ作ってくれていません。

T1b・Typ265 Pritschenwagen mit Doppelkabine(1959〜1963年の生産)あたりがプロトタイプのようです。
「Doppelkabine(ドッペル・カビーネ)」はキャビン(kabine)がふたつある、ということです。「ドッペルゲンガー」の「ドッペル」と同じで、英語の「double」です。キャビン内に、運転席・助手席後ろにもう1列シートがあるタイプです。略号大好きのドイツ人は「DoKa」と書きます。



ドッペルカビーネの特色を活かして、右側後席のドアが開閉します。1/43ではこういうアクションは実現しないのではないでしょうか。荷台のシートはグレーで、ブレキナの1/87がスケールアップしたような、緻密な印象のモデルに仕上がっています。

やはりモデルカーは値段ではなく、安価でも良いものはあり、高価だからと言って良いモデルとは限らないということを、あらためて思います。




  ジク・V14 VW-T1救急車(茶/ベージュ)



ジク・プラスチックのT1救急車は、このページの初回(5月)で赤/黒のモデルを掲載し、その時に「上半チョコレートブラウン、下半ベージュのものがあるようで、これを手に入れてみたい」と書いたのですが、意外に早く実現しました。これも「収集・捜索対象を絞る」という方針のおかげです。
ネット上で検索するにあたっても、あれも、これも、という形で探していると、長期にわたって探しているものの優先順位は下がってしまい、結局継続して探さなくなってしまうのですが、捜索対象が絞られていれば、いつも検索していることになるので、発見する確立もずっと高まるからです。

このモデル、前回も書いたように、生産順に「茶/ベージュ」「赤/黒」「黒/赤」の3種があり、「茶/ベージュ」が最も古いようです。1954年から1959年の生産ですが、それぞれのカラーごとの生産年次は、マンフレート・ヴァイゼの「Sikuコレクターカタログ」(Siku-Sammlerkatog RAWE)でも特定されていません。



SikuプラスチックのVW-T1としては、品番はこの救急車が「V14」で一番早く、「V16」で民間型「コンビ」を、「V17」でバン(カステンヴァーゲン)を作っています。生産開始はいずれも1954年です。

ヴァイゼは「Sikuコレクターカタログ」の中で、「V14」「V16」「V17」に共通して「Modell 50」と付記していて、車種形式かと思って考えていたのですが、、「Modell 1950」という意味のようです。つまり1950年〜1955年生産の「T1a」という意味で使っているようです。

ヴァイゼが「Sikuコレクターカタログ」の新版を出すことをやめてから、もう9年ぐらいが経ちました。リストの更新作業は意外に大変で、もうトシだからリタイヤするんだ、と言っていたのですが、その後彼は「ヴァイゼ・トイズ」と言う独自ブランドを立ち上げました。1/32の農業用トラクターがメインだったのですが、最近は1/32・ウニモクの消防仕様なども作っています。かえって以前より忙しく過ごしているのではないでしょうか。

Sikuのモデルは、Aピラーが太く、かつ側面窓のひとつひとつが横長であるために異なった印象を受けますが、窓配置そのものはT1aのType22 クラインブース(マイクロバス)、Type23 コンビヴァーゲンになっています。
(初期T1aでは、マイクロバスも側面窓が4つであるためです。)




  ジョニー・ライトニング(アメリカ) VW-T1救急車



5月に「側面に窓をプリントしたタイプのものも見かけたが、また出るだろうと思ってナメていたら買い逃した」と書いたバリエーションを、これも偶然再発見したものです。
前回掲載分のプリントはフランス語の「Hopital Civil」でしたが、このモデルはスペイン語「AMBULANCIA」になっています…。

金型は側面窓のないカステンヴァーゲン(バン)なので、側面窓もプリントで表現しています。
悩むのは窓配置で、特にボディ左側の後部寄りの2つ、というパターンは、資料中では確認できませんでした。

ただしT1は1953年から1975年まで、ブラジルでも生産されているので、ラテン・アメリカで使われた患者搬送車や移動診療所(クリノモビール)の中に、こういう窓配列の車両が「なかった」と言い切ることはできません。わざわざスペイン語のプリントをしてあるところに、深い意味があるのかもしれません…。

ちなみにブラジルの公用語であるポルトガル語では、「AMBULANCIA」の真ん中の「LAN」のところの「A」にアクセント記号(サーカムフレックス)が付くので、モデルのプリントはポルトガル語ではなく、スペイン語ということになります。。




「Hopital Civil」は「1962年式」をうたい、わさわざ裏板にそれがプリントしてあるのですが、今回の「AMBULANCIA」は「1965年式」としています。ところが、細部を穴のあくほど見ても、謎の側面窓以外には、ディテールに何の違いもないのですね。年式を特定する根拠がよくわかりません。

「1962年式」ということは、1959〜1963年生産のT1bであり、「1965年式」ということは、1964〜1967年生産のT1cで、T1cではリアゲートが大きく(grosse Heckklappe)なります。
ジョニーライトニングのモデルは、「1962年式」「1965年式」ともにリアゲートは大きく、T1cに見えます。もしかして、アメリカ人は、ドイツ車輛の系統的サブタイプ判別は苦手なんでしょうか。

ちなみに「Hopital Civil」は裏板がダイキャストでしたが、「AMBULANCIA」ではプラスチックに置き換えられています。




  デアゴスティーニ/IXO VW-T1 ブラジル救急車



IXO製・1/43の新しいモデルということで、いつでも買えるだろうぐらいに考えて敬遠していたのですが、次第に出品数量が減り、残り1台というところで購入しました。

車体前面・後面のプリントは「AMBULANCIA」で、まさに上のジョニー・ライトニングのモデルのところで書いた、真ん中の「LAN」のところの「A」にアクセント記号(サーカムフレックス)が付いており、スペイン語ではなく、ポルトガル語であることが知れます。

撮影用にブリスターパックをはずしたところで、プラケースの背景紙の裏側に「Carros Inesqueciveis do Brasil」のロゴが出て来ました。「ブラジルの忘れられないクルマたち」というような意味で、デアゴスティーニによるブラジルのノスタルジック・カーのシリーズであることがわかりました。
シリーズ名がポルトガル語ですから、ブラジル市場向けと考えていいでしょう。

塗色は、ドイツふうのアイボリーではなくて純白で、赤十字も細いものを付けています。




T1のブラジル法人の「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」では、1953年からT1の生産が行われ、ドイツでの生産が1967年に終了して以降も、T2にシフトする1975年まで生産が続けられていました。同様にT2はドイツでの生産が1979年に終了して以降も、なんと2013年まで生産されていました。


ドイツでは貨客兼用タイプを「Kombi」(コンビ)と言いますが、ブラジルでは、貨物用パネル・バン(カステンヴァーゲン)を含め
て、トランスポルター全体を「コンビ」と言うようです、ある種の商品名化したものと思っていいでしょう。
デアゴスティーニのモデルのベースプレートの車名も「Konbi 1200」になっています。
「ブラジルの忘れられないクルマたち」のシリーズですから、当然ブラジル製コンビをモデル化していることになります。T1b以前の小さなテールランプを付けています。

T1の救急車モデルとしては、これはこれで稀少な存在になるのかもしれません。


     




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